【真田丸】室賀正武の最期 やはり真田にしてやられる…

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NHK大河ドラマ「真田丸」第11話(3月20日放送)より。「黙れ小童!」のセリフでお馴染みの小県の国衆・室賀正武(西村雅彦)が、残念ながらこの回で「最期の時」を迎えます。

この記事では、「真田丸」において室賀が死に至るまでの経緯と、史実の室賀正武が死亡した経緯をまとめます。

家康から昌幸暗殺をけしかけられる

家康側近・本多正信(近藤正臣)から、暗殺のターゲットとしてロックオンされてしまった真田昌幸(草刈正雄)。第11話では、徳川陣営が室賀正武を使って昌幸を暗殺しようと企てる様子が描かれます。

徳川家康(内野聖陽)により浜松城に呼び出された室賀は、家康、正信から暗に昌幸を暗殺するようにほのめかされます。元来平和主義者である室賀は、ライバルとはいえ幼馴染みでもある昌幸の暗殺は出来ないと一度は断りますが、家康陣営の甘言に乗せられて、これを承諾してしまいます。

真田に筒抜け

室賀は、招待された信繁(堺雅人)と梅(黒木華)の祝言の席での昌幸暗殺決行を決めます。しかし、昌幸の元には室賀と家康が内通しているかも知れないとの情報が(昌幸弟・信尹によって)すでに伝わっており、真田陣営は万全の準備をもって宴の場に臨みます。

宴もたけなわとなった頃、昌幸は囲碁を口実に室賀を別室に誘い、問答の末に室賀は出浦昌相(寺島進)らによって斬り捨てられてしまいます。

「真田丸」の中でも人気キャラクターの一人だった室賀正武ですが、最期まで真田に翻弄され、あっけない死を迎えてしまいます。

史実における室賀正武の最期は?

史実の記録に残る室賀正武も、「真田丸」で描かれたストーリーと同様の最期を遂げています。

『加沢記』によれば、天正11年(1583年)、室賀正武は領土拡大を狙った真田との争いの末に和睦を申し入れ、実質的に真田の配下に入っています。室賀はこれを良く思わなかったのか、家康の元に遣いを出すと(室賀は家康に対し、真田昌幸への不満を漏らしていた?)、家康から「謀りごとにて真田(昌幸)を討つべし」との暗殺指令を受けています。

しかし、この「謀りごと」は室賀正武の家臣・室賀孫右衛門(真田に内通していた)により昌幸に伝わります。そこで昌幸は一計を案じ、「囲碁の観戦に来ないか?」と室賀正武を上田城に招きます。

これを好機と捉え、家臣を従えて上田城へと乗り込んだ室賀でしたが、待ち構えていた真田の家臣団(長野舎人と木村渡右衛門)により急襲され、斬り捨てられてしまいます。

その後、室賀一族は甲斐国に落ち延びたとされ、これをもって小県郡において真田に抵抗する勢力はなくなったとされます。

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