NHK連続テレビ小説「虎に翼」のヒロイン・猪爪寅子(伊藤沙莉)のモデルになっている日本初の女性弁護士・三淵嘉子(みぶち・よしこ)の家系図、生家である武藤家の家族構成などをまとめます。
また、「虎に翼」ヒロインの生家・猪爪家の家系図も紹介し、史実モデルとの家族構成の違いなどもまとめます。
【史実】三淵嘉子の家系図 香川にルーツを持つ武藤家 4人の弟たち
朝ドラ「虎に翼」のモデル・三淵嘉子(旧姓・武藤、和田)の家系図は以下の通りです。
家系図を読み解くにあたって抑えておきたいポイントは、
- 1914年(大正3年)、嘉子は香川・丸亀にルーツを持つ武藤家の長女として生まれている。
- 嘉子は台湾銀行で働いていた父・貞雄の赴任地シンガポールで生まれ、東京で育っている。
- 5人きょうだいの一番上で、下に4人の弟がいた。
- 27歳で武藤家の書生・和田芳夫と結婚。二人の間に長男の芳武が生まれたが、芳夫は中国出征後に病死。
- 41歳で裁判官の三淵乾太郎と再婚。乾太郎との間に子供は作らなかったが、乾太郎には死別した前妻との間に4人の子供がいた。
- 一番上の弟・一郎は戦死している。
といった点です。
以下、嘉子の両親やきょうだいについてもう少し細かい情報を箇条書きでまとめておきます。長々と細かいですので、さらっと読み流してください。
【嘉子の両親(貞雄、信子)について】
・父の貞雄、母の信子はともに香川県の生まれ。武藤家(香川・丸亀)は母方の家系で、父は入婿だった。
・信子は6人きょうだいの末っ子として生まれたものの、早くに父を亡くすと、子供がいなかった伯父夫婦の養女になっている。
・信子の伯父(養父)は金融業などを営む資産家・武藤家の当主。信子と結婚した貞雄は武藤家を存続させるために入婿になった。
・貞雄は東京帝国大学から台湾銀行に就職したエリートで、シンガポール、ニューヨークなどの海外赴任を経験。当時としてはかなり新進的な気風を持った人で、嘉子が弁護士になる後押しをした人物。
・信子は伯母(養母)の駒子から口うるさく躾けられ保守的な考えを持っていたが、新婚時代にはシンガポールで自由な生活を経験しており、ある程度は柔軟な考えも併せ持っていた。
・嘉子が育った東京の武藤家は麻布笄町にある旧武家屋敷の大邸宅を借りて住んでいた。家には女中がいたほか、両親の郷里である香川・丸亀出身から来た複数の書生が居候をしていた。この書生のうちの一人である和田芳夫が嘉子の最初の結婚相手となっている。
【嘉子のきょうだいについて】
・嘉子は5人きょうだいの長子。弟として長男の一郎、次男の輝彦、三男の晟造、四男の泰夫がいた。
・弁が立ち気が強い嘉子はきょうだいの中では「暴君」「ゴッドシスター」のように強烈な存在だったそう。弟たちは姉の勢いに押されたのか、控えめで大人しかった。
・一郎は横浜商業学校、晟造は北海道大学、泰夫は岡山の旧制第六高等学校に進学している。輝彦も進学しているが詳細は不明。
・長男の一郎は嘉根という大人しい女性と結婚したものの、間もなく赤紙が来て出征。一郎は乗っていた船が鹿児島沖で沈没し戦死している。出征当時、嘉根のお腹には赤ちゃん(娘)が居た。
・終戦間際、嘉子と嘉根は子供を連れて一緒に福島に疎開。玉音放送を福島で聞いている。
・戦後、次男の輝彦・温子夫妻は仕事が忙しい嘉子に代わり、しばしば長男の芳武を預かって世話をしてくれた。
【史実】嘉子の結婚相手、再婚相手について
最初の結婚相手は書生の和田芳夫 長男・芳武を授かるも…
嘉子は27歳だった1941年(昭和16年)に最初の結婚をしています。相手は長年書生として武藤家に居候、出入りをしていた香川・丸亀出身の和田芳夫という青年でした。
昼間に仕事をしながら明治大学の夜間部に通っていた芳夫。朴訥で無口、不器用な人柄ながら、嘉子は芳夫と一緒にいると不思議と心が安らいだようで、いつしか二人は親密になっていったようです。芳夫は嘉子の父・貞雄の学生時代の親友の甥っ子であり、嘉子の両親としてもこの人ならば大丈夫、という気持ちがあったことでしょう。
結婚した二人の間には長男・芳武が生まれましたが、間もなく芳夫は中国に出征。しかし出征中に持病の肋膜炎が悪化してしまい、戦後の1946年(昭和21年)5月、芳夫は転院した長崎の病院で亡くなっています。
嘉子は、夫がそんなことになっているとはつゆ知らず。行方知れずになっていた夫の帰還を心待ちにしていましたが、長崎の病院から芳夫の危篤を伝える電報が突然届き、悲しい事実を知ることになります(芳夫は電報送信の直後に亡くなっており、嘉子は死に目に会えず)。
再婚相手は裁判官・三淵乾太郎
夫の芳夫と死別後、息子の芳武とともに二人で生きていた嘉子でしたが、41歳だった1956年(昭和31年)に、親しくしていた9歳年上の裁判官・三淵乾太郎と再婚をしています。三淵乾太郎は初代最高裁長官として著名な三淵忠彦の息子です。
三淵乾太郎には病気で死別した前妻との間に4人の子(那加、奈都、麻都、力)がおり、再婚して三淵家に住むことになった嘉子と芳武は乾太郎の子どもたちと生活を共にしています。
三淵家の長女・那加はすでに結婚して家を出ていましたが、新参者のくせに我が物顔でマイルールを貫く嘉子を嫌がり、しょっちゅう実家に帰ってきては嘉子を叱りつけたとか。それに対し嘉子が猛反論をし、口喧嘩バトルが勃発。そんな賑やかな新生活が繰り広げられたようです。
※息子の芳武は母の再婚自体は認めたようですが、自身の姓は「和田」のまま変更しないことを望んだそうです。
【虎に翼】猪爪家の家系図、家族構成
最後に、ドラマ「虎に翼」前半時点での猪爪家の家系図、家族構成も簡単にまとめておきます。史実における「武藤家」に相当する一家ですね。
モデルになっている武藤家と猪爪家との相違点や共通点などを以下にピックアップしてみます。
- 弟4人ではなく、5歳上の兄が1人、12歳下の弟が1人という設定に変更されている。
- 兄の直道=武藤一郎(長男)、兄嫁の花江=武藤嘉根(長男妻)、弟の直明=武藤泰夫(四男)がモデルではないかと予想。
- 父が進歩的で娘の味方、母が保守的で結婚推進派という設定は変わらず。母(あるいは父も?)が香川出身というのも変わらず。
- 猪爪家に居候する書生・佐田優三は明律大学の夜間部で法学を学んでいるという設定。三淵嘉子の最初の結婚相手である和田芳夫に相当する人物と考えられる。
- 史実では結婚式に和田芳夫の両親が顔を出したようだが、ドラマでは佐田優三の両親はすでに亡くなっているという設定。また、和田芳夫は明治大学の夜間部に通っていたが法学は学んでいないらしい。
- 物語の中盤以降に、最高裁判所長官の星朋彦という人物と、その息子と思われる裁判官・星航一(岡田将生)が登場予定。この星航一というイケメンの青年が、寅子の再婚相手になる可能性あり。