「虎に翼」書生の佐田優三(仲野太賀) モデルは武藤家の書生・和田芳夫

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NHK連続テレビ小説「虎に翼」に登場する猪爪家の書生・佐田優三(仲野太賀)の人物設定などをまとめます。

この佐田優三という人物は、ヒロインのモデルになっている弁護士・三淵嘉子の生家に書生として住んでいた和田芳夫という人物がモデルになっています。一部ネタバレにもなりますのでご注意ください。

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【虎に翼】明律大学の夜学に通う 書生の佐田優三

著:吉田 恵里香, 編集:NHK出版, 読み手:NHKドラマ制作班
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佐田優三(さだ・ゆうぞう)は、猪爪家に居候しながら弁護士を目指している「書生(しょせい)」です。

優三が猪爪家にやって来たのは5年前のこと。早くに両親を亡くした優三は弁護士だった父に憧れて勉強中の身で、昼間は銀行で働きながら夜は明律大学の夜間部に通っています。

寅子(伊藤沙莉)は優三の大学に弁当を届けたことをキッカケに、法律の世界に興味を持つことになります。何度も高等試験(現在の司法試験)に挑んでは失敗を繰り返す優三にとって、同じ屋根の下で共に弁護士を目指していく寅子は同志のような存在になっていきそうです。

優三は気が弱く頼りない印象がありますが、深い優しさと芯の強さを持つ男です。優三はいつからか寅子に密かな想いを寄せていきますが、寅子は恋愛や結婚にあまり興味がないようで…。

▷仲野太賀(なかの・たいが)…東京都出身の31歳の俳優。父は俳優の中野英雄(ドラマ「愛という名のもとに」のチョロ役)。映画「桐島、部活やめるってよ」「淵に立つ」「海を駆ける」やドラマ「ゆとりですがなにか」「仰げば尊し」「レンタルの恋」「今日から俺は!!」「コントが始まる」など数々の名作に出演。強烈なヤンキーキャラ、小心者役、青春系男子役などを幅広く自在に演じ、近年では主役級での出演が多数舞い込んでいる。2026年放送予定のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では主演・豊臣秀長役に大抜擢。NHK朝ドラは「あまちゃん」でAD小池(助監督)役で出演。

【史実モデル】書生・和田芳夫 三淵嘉子と同じ屋根の下で…

寅子のモデルになっている女性初の弁護士・三淵嘉子は、シンガポール生まれの東京育ち。父の武藤貞雄は帝国大学を出て台湾銀行に務めていたエリートであり、裕福だった武藤家では両親の出身である香川丸亀から上京してきた複数の書生を受け入れていました。

「虎に翼」の佐田優三のモデルになっている和田芳夫も、そんな武藤家の書生の一人でした。芳夫は嘉子の父・貞雄の中学時代の親友の甥っ子で、昼間は貞雄の口利きで台湾銀行の関連会社で働き、夜は明治大学の夜間部に通っていました。

芳夫は物静かでいかにも気が弱そうな男性だったそうですが、なかなかの好青年でもありました。明治大学の夜間部を卒業した芳夫は貞雄が関係する会社に就職をすると、その後も武藤家に住み続け、武藤家と家族同然の付き合いを続けたそうです。

同じ屋根の下で暮らす嘉子のことは女学校時代から良く知る間柄。いつしか芳夫と嘉子は親密になり、嘉子が28歳だった1941年(昭和16年)11月に結婚をしています。※嘉子は23歳で高等試験司法科試験(現在の司法試験)に合格。

日本初の女性弁護士という茨の道に進んだ嘉子は、当時の価値観としては気難しい変わり者の女性として見られており、結婚とは縁遠い生活を送っていました。先進的な気質を持つ父の貞雄はともかく、保守的な感性を持っていた母の信子は娘が結婚できないのではないかとかなりヤキモキしていたようで、信頼のおける好青年の芳夫と嘉子が結婚に至ったことは大きな喜びだったことでしょう。

【史実モデル】芳夫のその後 出征、持病の肋膜炎…

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結婚した二人は麻布笄町にあった武藤家を出て池袋にアパートを借り、新婚生活を送ったそうです。

結婚から約1年後の1943年(昭和23年)元旦、嘉子は長男の芳武を出産しています。史実をもとにした伝記的小説「裁判官 三淵嘉子の生涯」(潮出版社)によれば、芳夫は自らの名前の一文字「芳」と深くお世話になった武藤家の「武」の文字を取って「芳武」と名付けたと書かれています。芳夫と武藤家との良好な関係性がうかがえるエピソードです。

芳武が生まれると二人はすぐに実家の麻布笄町に戻り、貞雄と信子の手を借りながら子育てを行っています。両親からも祝福され幸福そのものだった芳夫と嘉子の結婚生活ですが、戦争の激化により泡と消えてしまいます。

1944年(昭和19年)6月、芳夫のもとに召集令状が届いたものの、肋膜炎の病根が見られたためにすぐに召集は解除されています。しかし戦況が悪化した1945年1月に再び芳夫のもとに召集令状が届くと、今度は解除とはならずに病を内に抱えたまま出征をしています。

芳夫は入隊後、中国の上海に送られたそうですが、慣れない軍隊生活がたたったのか持病の肋膜炎が急速に悪化。戦地には出ずに日本に戻され、長崎の陸軍病院に入院してしまいます。

ベッドから起き上がることすら出来ないほどに病状が悪化していた芳夫。終戦を病床で迎えると、そのまま回復することなく1946年(昭和21年)5月に亡くなってしまいます。

嘉子は終戦のゴタゴタの中で芳夫と上手く連絡も取れず、ましてや遠い長崎まで会いに行くことも出来ず。丸亀の芳夫の実家から嘉子のもとに芳夫死亡の悲報が届いた時には、すでに芳夫は荼毘に付された後だったそうです。

もともと感情の起伏が大きい嘉子でしたが、愛する夫の死を知ると、大号泣をしたそうです。弁護士の仕事を頑張りながら芳夫と芳武と幸せに暮らしていく…そんな未来の夢が儚く消えてしまい、嘉子はこれからどう生きていけばいいか途方に暮れてしまいます。

▼夫を失い仕事に邁進していく嘉子。芳夫の死去から約10年後、嘉子はある人物と出会い、再婚をしています。

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