NHK連続テレビ小説「虎に翼」第1週で、結婚披露宴で寅子が歌う「モン・パパ」についてまとめます。
映画「巴里っ子」の劇中歌として歌われていた「モン・パパ」。日本では宝塚少女歌劇や喜劇王・エノケンらが歌い、カカア天下の夫婦関係を過激にコミカルに歌った歌詞で人気になりました。
寅子が歌う「モン・パパ」 歌詞が伏線に?
いよいよやって来た兄の直道(上川周作)と親友の花江(森田望智)の結婚式の日(昭和6年)。
披露宴では、直言(岡部たかし)から頼まれた寅子(伊藤沙莉)が二人のためにフランスのシャンソン曲「モン・パパ」を歌うことになります。寅子は花江の結婚を喜びながらも、「スンッ」とした態度でかしこまっている女性たちの態度に悶々とした気持ちを抱えていました。
後述しますが、この「モン・パパ」は妻が強く夫が弱い夫婦の関係を歌った歌です。ジェンダー問題、特に女性の立場の弱さと生きづらさに憤りを覚えている寅子にとって、何か思うところがある歌なのかも知れません。
この「モン・パパ」の歌詞が、後の寅子の結婚生活とリンクするような伏線になるかも知れません。
▼伝記的小説「裁判官 三淵嘉子の生涯」では、三淵嘉子(寅子のモデル)が同僚との飲み会で「モン・パパ」を好んで歌った話、息子の芳武が「モン・パパ」を歌い、歌詞に登場する「パパ」が夫のようだと嘉子が思った話などが登場しています。
シャンソン「モン・パパ」 宝塚が日本に紹介しエノケンらが歌った
▼喜劇王・エノケンが歌った「モン・パパ」。朝ドラ「ブギウギ」でエノケンは「喜劇王・タナケン」(生瀬勝久)として登場していましたね。
寅子が歌った「モン・パパ(原題:C’est pour mom Papa)」は、フランス映画「巴里っ子(原題:Le roi des Resquilleurs)」(1930年公開)の劇中で歌われたシャンソンです。
「巴里っ子」は翌年の1931年(昭和6年)に日本でも公開され人気になっています。昭和6年といえば、ちょうど「虎に翼」第1週の時代設定と同じですね。
「モン・パパ」は、シャンソンを積極的にレヴューに取り入れて日本に紹介していた宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)が人気となった舞台「ローズ・パリ」(1931年)の中で歌っています。
これら映画や宝塚の人気にレコード会社が目をつけたのでしょう。「喜劇王」エノケンこと榎本健一らが「モン・パパ」をレコードでリリースし、広く人気になっています。
▼「虎に翼」の寅子と「ブギウギ」の福来スズ子は同じ年の生まれ。寅子のモデル・三淵嘉子は宝塚少女歌劇の大ファンだったそうで、少女歌劇の世界で活躍した福来スズ子/笠置シヅ子の世界線と重なっています。
「モン・パパ」の歌詞 ダサくて尻に敷かれるパパと、強くてオシャレなママ
歌詞内容は著作権もありますので全部は書けませんが、エノケン版「モン・パパ」から一部を抜粋しておきます。エノケン版の歌詞は少々過激でコミカルな内容ですが、宝塚版はもう少しお上品(?)だったようです。
うちのパパとうちのママはノミの夫婦
大きくて立派なはママ
ウチのパパはうちのママにかなわない
大きな声で話すは いつもママ
ちっちゃな声でこたえるのは いつもパパ
うちのパパもっさり服 うちのママ流行の服
呉服屋の品物いつもママ そのかわり勘定書きいつもパパ
古い時計それはパパ 大きなダイヤモンドそれはママ
パパの大きなものはひとつ 靴下の破れ穴
ウチのパパとウチのママと話す時
大きな声で怒鳴るは いつもママ
ちっちゃな声で謝るのは いつもパパ
原曲である「C’est pour mom Papa」の歌詞をCHAT GPTに訳してもらいましたが、以下のように大筋では日本語訳の歌詞と同じ方向性です。
「田舎のパパと都会のママ」
「ダサくて古臭いパパと高級ブランドを買い漁るママ」
「宅配はいつもママのため 請求書はいつもパパのため」
「一番いいものはいつもママのため 一番悪いものはいつもパパのため」
「パパは早起きして地下鉄に乗る ママは友達とお茶を楽しむ」
「ママの靴はおしゃれだけど、一番汚い靴下は パパのため!」
などなど…。
強くてオシャレで好き勝手に生きるママと、野暮ったくてママに尻に敷かれっぱなしのダサいパパ…。そんな歌詞が原曲でも展開されています。
寅子が兄夫婦の結婚披露宴でこの曲を歌ったというのも、何やら意味がありそうです。歌詞に登場する「うちのママ」は寅子の性格とどこか重なるところもあり(?)、後に寅子の結婚生活を象徴するような歌になる可能性があります。