【エール】作家・水野伸平と画家・中井潤一 ビルマ慰問の同行者 モデルは火野葦平と向井潤吉

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NHK連続テレビ小説「エール」10月12日(第86回)に登場したビルマ慰問の同行者、作家の水野伸平と画家の中井潤一についてまとめます。

この二人は、古関裕而がビルマ慰問に向かった際の同行者、作家の火野葦平と画家・向井潤吉がモデルと考えられます。

音楽慰問のためにビルマに到着する裕一

戦争に関する歌曲を作ってきた責任感を胸に、ビルマへの音楽慰問の旅へと出発した古山裕一(窪田正孝)。

一行は裕一のほかに、作家の水野伸平(大内厚雄)と画家の中井潤一(小松和重)も同行し、それぞれの職能を活かして現地での慰問が行われるはずでした。

いざビルマ・ラングーンに到着した一行でしたが、すでに開始されていた「インパール作戦」の戦況は思わしくありませんでした。なかなか前線慰問は実行されず、裕一たちはラングーンに足止めされ退屈な日々を過ごすことになります。

そして一ヶ月後。水野と中井がようやく前線に行くことを許されると、水野は「ビルマ派遣軍の歌」という勇ましい詞を裕一に託し、意気揚々と最前線へと旅立ちます。

それからしばらく。前線での日本兵での惨状を目の当たりにした中井は、スケッチを手にラングーンへと戻ると、その凄惨さを裕一に伝え…。

【エール】「ビルマ派遣軍の歌」 作家・火野葦平が作詞した実在の曲

古関裕而とビルマへ同行した火野葦平と向井潤吉

昭和19年(1944年)、華々しく開始された「インパール作戦」に対し、大本営は「特別報道班員派遣」を企画します。これにより、作家の火野葦平(ひの・あしへい)、画家の宮本三郎(宮本が病気だったために画家の向井潤吉に変更)、作曲家の古関裕而がビルマへと派遣されることが決まります。

当時、古関裕而は福島の母が病気の身であり子供も小さかったことから、派遣を辞退しようと申し出ましたが聞き入れられず、妻・金子から励ましの言葉をもらいビルマへと旅立っています。

4月、古関裕而、火野葦平、向井潤吉に朝日新聞東亜部の記者・石山慶二郎が同行者として加わり、一行は新鋭重爆撃機により羽田からビルマへと向かっています(博多、上海、台湾、サイゴン、バンコク経由)。

▷火野葦平は、戦前から戦後にかけて活躍した作家。日中戦争の出征前に書いた「糞尿譚」で芥川賞を受賞し、戦地の兵士の生々しい様子を描いた「土と兵隊」、「花と兵隊」とあわせた「兵隊3部作」は300万部を超えるベストセラーになっている。太平洋戦争中にも各戦線に向かい、従軍作家として活躍。

▷向井潤吉は、戦前から戦後にかけて活躍した洋画家。昭和初期にフランス留学を経験し、戦時中には「大日本陸軍従軍画家協会」に所属し戦争画を描いた。戦後は失われつつある茅葺屋根の民家を描き続け、今では貴重な記録資料となっている。

火野、向井は前線へ 悲惨な戦況を体験

ようやく現地へと到着したものの、一行はインパール作戦はまだまだ先と知らされ、現地・ラングーンで足止めを食らってしまいます。

しばらくすると火野葦平と向井潤吉が先に前線へと向かうことが決定。この時、作家の火野葦平は「ビルマ派遣軍の歌」の詞を古関に託し、古関に作曲してもらう約束をした上で前線へと向かっています。「ビルマ派遣軍の歌」は、「神兵ビルマの地を衝けば 首都ラングーンは忽ちに 我手に陥ちて」という勇ましい内容でした。

ラングーンでの待機が継続された古関裕而は、一時はデング熱に苦しみながら現地での音楽採譜、作曲活動を展開。

やがて7月になると、先にラングーンに戻ってきた画家・向井潤吉のより、前線における悲惨な作戦行動の様子、栄養失調の兵士の苦労などがスケッチを前に語られました。

一方、さらに北ビルマの奥地に向かった火野葦平は、大本営がインパール作戦の失敗を認め作戦中止命令を出すとラングーンへと帰還。こちらも現地での無謀な作戦などを古関裕而らに熱く語っています。当時の前線の様子は火野葦平の作品「青春の泥濘」で語られています。

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