NHK連続テレビ小説「エール」に登場する音楽教師・藤堂清晴についてまとめます。
作曲家・古関裕而の恩師である音楽教師・遠藤喜美治先生がモデルになっていると考えられます。
生涯の恩師・藤堂先生との出会い
小学校の運動会が近づき、運動が苦手な古山裕一(石田星空)は憂鬱になっていました。騎馬戦の練習で重さに耐えきれず崩れ、真面目にやっていないとして体育教師に平手打ちを食らってしまう裕一ですが、そんな裕一をかばうのが、赴任してきたばかりの教師・藤堂清晴でした。
5年生になると、そんな優しい藤堂先生が裕一の担任となります。音楽教育に情熱を傾けていた藤堂は、作曲の課題で裕一が書いた楽譜を見るとすぐに裕一の類まれな作曲の才能を見抜きます。
藤堂は裕一の才能を伸ばすべく応援し、大人になってからも裕一の良き相談相手となるなど、裕一にとってかけがえのない恩師になっていきます。
朝ドラ初出演・森山直太朗 母は森山良子
藤堂清晴( #森山直太朗 )をご紹介🎵
裕一( #窪田正孝 )の小学校の担任👨🏫
音楽教育に情熱を傾けている先生で、裕一の作曲の才能をいち早く見いだす。
裕一が大人になってからも良き相談相手となり、音楽の道を進む裕一を応援する。公式インスタには他のカットも♪https://t.co/qluMdjggIE pic.twitter.com/yv4grkJ0HF
— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) March 17, 2020
藤堂清晴を演じるのは、森山良子を母に持つ歌手・森山直太朗。劇中の裕一は村野鉄男、佐藤久志という盟友に支えられ音楽家の道を進みますが、森山自身も詩人で作詞家の御徒町凧という盟友とともに音楽の道を歩み、現在に至っています。
森山直太朗のドラマ出演歴は、「HERO 第2シリーズ」(2014年・フジテレビ)の大西祐二役、「心の傷を癒すということ」(2020年・NHK)安智明役に続くもの。
特に最近放送されたばかりの「心の傷を癒すということ」では、主演・柄本佑演じる精神科医の兄役を好演していました。
モデルは古関裕而恩師・遠藤喜美治
藤堂清晴は、古山裕一のモデル人物である古関裕而が少年期に大きな影響を受けた教師・遠藤喜美治と考えられます。
福島県師範附属小学校(現在の福島大学附属小学校)に入学した古関裕而は、3年生になると音楽教育に熱心だった遠藤喜美治が担任の先生になっています。
1918年(大正7年)に創刊された児童文芸雑誌「赤い鳥」(鈴木三重吉が創刊。北原白秋らが参加)から盛り上がっていた大正期の「童謡運動(※)」の影響もあり、遠藤喜美治は音楽教育に大変熱心だったようです。
※童謡運動=従来の小難しい唱歌ではなく、子どもの美しい空想や情緒を育てる芸術的な詩と歌=童謡を子どもたちに与えようとした。また、実際に子どもたちが自由に詩の創作や作曲を楽しむことなどを促した大正期の潮流。「エール」劇中で藤堂先生は北原白秋の詩にメロディを付けるという課題を生徒に出しますが、これは雑誌「赤い鳥」の創刊に北原白秋が関わっていた流れを意識しての描写と考えられます。
作曲家としての目覚め
古関裕而は、遠藤から唱歌と綴り方の指導を受けると、音楽の楽しさに目覚め、作曲に大きな関心を示すようになっています。10歳の頃からは授業だけでは物足りなくなり、自ら楽譜を買い求めるほどに作曲に夢中になったそうです。
この頃のことを、古関裕而は以下のように語っています。
「おとなしく目立たない存在だったが作曲となると夢中になるので、次第にクラスメートは詩を書いて私のところに持ってくるようになった 。頼まれるから人の分まで作る。できると楽しい。そんな繰り返しで知らずしらずのうちに作曲することに親しんでいった」
遠藤喜美治は後に上京し、忍丘高等女学校(現在の都立忍丘高校)で教員をしながら塾も経営していたそうで、同じく上京し作曲家となっていた古関裕而と交流があったそうです。
後に古関裕而は、遠藤喜美治の母校である福島県田村市の要田国民学校(現在の要田小学校)の校歌(作詞・遠藤喜美治、作曲・古関裕而)も作曲しています。
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