【あさが来た】大阪恐慌(明治34年)とは あさ、広岡浅子がとった強気な行動

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」第25週(3月21日〜)より。女子大設立を成し遂げたあさ(波瑠)ですが、すぐに次の苦難がやってきます。大阪の難波銀行が倒産したことが引き金となり「取り付け騒動」が発生し、大阪経済が大混乱に陥るのです。

この記事では、この騒動のモデルだと思われる明治34年(1901年)の「大阪金融恐慌」について簡単にまとめるとともに、あさ、ならびにモデルとなっている広岡浅子がとった行動などをまとめます。

日清戦争後の不況→大阪恐慌へ

明治30年代に入ると、日清戦争後の反動により日本経済は長い不況、需要減少の時代に突入します。工場などでは生産量の低下、人員解雇などが発生。戦争特需後に不況が長引いたこともあり、設備投資をした際の借入金が返済出来なくなるなどし、倒産が相次ぐようになります。
※追記:「あさが来た」(3月21日放送分)では、清国で大きな戦乱があったことで日本と清との貿易がストップし、大阪商人が影響を受けたとの説明あり。

そうした世情の中、明治34年4月には経営状態が悪化していた「第七十九銀行」などが支払停止となり、大阪に金融恐慌が発生。これに端を発した「取り付け騒動」は全国に波及していくことになります。

※「取り付け騒動(取り付け騒ぎ)」とは、特定の金融機関などに対する信用不安から、預金者が預貯金、掛け金などを取り戻そうと店頭に殺到する現象、騒動のこと。

結局、この騒動は日本銀行による「救済融資」が決定したことで収束していきますが、多くの銀行が大ダメージを受ける結果となります。 

「九つ転び十起き」あさの決断

「あさが来た」では、この「大阪恐慌」「取り付け騒動」に対してあさがとった行動、決断が描かれます。

加野銀行は経営状態が安定した大口顧客が多く、資金的にこの騒動にも耐えられるとの自信があったあさは、「銀目廃止」の時と同じように預金払い戻しに応じる決断をします(あさには、恐慌という日本の危機なので当然政府が助け舟を出してくれるとの読みもあった)。

この決断に対し平十郎(辻本茂雄)は猛反対しますが、かつて「銀行の神様」渋沢栄一から聞かされた「銀行は信用が一番」という言葉を根拠に平十郎を説得。顧客に対し払い戻しを決行します。

この払い戻しにより、加野銀行は御維新の時以来の大きなダメージを受けることになるのですが(炭鉱売却資金を充当)、そこは「九つ転び十起き」のあさ。

世情不安のピンチをチャンスと捉え、まだまだ頼りなかった保険事業「加野生命」を大きく育てようとする提案を行い、加野屋グループの企業価値を向上させようと息巻くのでした。

恐慌後に預金高を急伸させた広岡浅子

「あさが来た」の原案「小説 土佐堀川」には、明治34年の「大阪恐慌」「取り付け騒動」「顧客への預金払い戻し」を機会にして、広岡浅子が加島銀行の預金を増額させようと強気に奔走する様子が描かれています。

浅子は、日本女子大学校創立運動を通して知り合った交友録(名簿)を用い、東京の財界、政界などの大物夫人らとコンタクトをとっています。

加島銀行が危ないとのウワサを耳にしていた夫人たちは、居留守を使うなどして浅子の来襲をかわしますが(笑)、日銀の救済融資が決定すると、東京支店での預金高が急伸していきます。この急伸には、浅子が持っていた名簿掲載者の新規申し込み分が大きく貢献していたとのことで、転んでもただでは起きない浅子の気性がよくわかるエピソードといえそうです。

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