NHK連続テレビ小説「エール」第4週で裕一が応募することになる英国音楽雑誌社「エスター」主催の国際作曲コンクールについてまとめます。
このエピソードは、作曲家・古関裕而が昭和4年に上位入賞という快挙を成し遂げた「チェスター楽譜出版社(J & W Chester Ltd.)」主催の国際作曲コンクールの史実がモデルとなっています。
英国・エスター社主催 国際作曲コンクール
川俣銀行で漠然とした日々を過ごしていた裕一(窪田正孝)でしたが、新聞社に勤める幼なじみ・鉄男(中村蒼)から国際作曲コンクールの存在を教わったことで人生が動き始めます。
鉄男が教えてくれたのは、雑誌「世界音楽」に掲載されていた英国・エスター社(A&C Ester Ltd.)主催の「国際作曲投稿募集」の広告。
このコンクールは、裕一が好きなロシア人作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーをはじめ、モーリス・ラヴェルなど15名の著名な音楽家が審査を担当するという権威あるもの。
鉄男から「挑戦すんのはタダなんだから、やってみろ!」とけしかけられた裕一は、交響曲「竹取物語」を作り上げると、なんと史上最年少での二等受賞という快挙を達成。
これにより裕一は英国留学への許可がおり、新聞で大々的に快挙が報じられたことで運命の人・関内音(二階堂ふみ)と文通を開始するなど、人生の大きな転機を迎えることになります。
古関裕而「竹取物語」英国・チェスター社コンクールで入賞
▼「竹取物語」は聞けませんが、古関裕而の珠玉の名曲が多数収録された大全集。
この一連のエピソードは、1929年(昭和4年)に作曲家・古関裕而(古山裕一のモデル人物)が英国「チェスター楽譜出版社(J & W Chester Ltd.)」主催の作曲コンクールに応募し、日本人初の国際的作曲コンクール入賞という快挙を果たした史実がモデルとなっています。
※「チェスター楽譜出版社(J & W Chester Ltd.)」は、1860年代に英国・ブライトン(Brighton)で設立された歴史ある音楽系出版社(Joseph and William Chesterにより設立)。現在は「Wise Music Group」傘下の「Chester music」として、その歴史が続いているようです。
当時、伯父・武藤茂平が経営する川俣銀行に就職し、音楽活動も継続させていた古関裕而。「チェスター社」主催の国際作曲コンクールに舞踊組曲「竹取物語」ほか4曲を応募し上位入賞の快挙を成し遂げると、無名の音楽青年の快挙として新聞に大きく報じられています。
※舞踊組曲「竹取物語」は、古関裕而が敬愛していたストラヴィンスキーの「火の鳥」から着想を得た曲。日本伝統の雅楽も取り入れられた、エキゾチックな楽曲でした。舞踊組曲「竹取物語」の楽譜は、現在は所在不明とのこと。
新聞報道が妻・金子との出会いのキッカケに
この入賞により古関裕而は「チェスター社」経営の作曲家協会(シュトラウス、アルノルト・シェーンベルク、ラヴェル、オスガー、ユージン・グーセンスら一流作曲家が名を連ねていた)の会員になれたほか、受賞作「竹取物語」がグーセンス指揮「ロンドン・フィル・ハルモニック・ソサエティー」の演奏により英国コロムビアで吹き込まれるなど、音楽家としての大きな一歩を踏み出しています。
また、快挙の新聞報道を目にした豊橋の声楽家志望の女性・内山金子(関内音のモデル人物)が古関裕而にファンレターを送ると、二人は熱烈な文通を開始。すぐに結婚へと至っています。
生家の呉服屋「喜多三」が廃業の状況にあったため、膨らみかけた音楽留学の夢は実現されませんでしたが、この快挙が山田耕筰(小山田耕三のモデル人物)に認められたことで、古関裕而の「日本コロムビア」専属作曲家としてのキャリアが開かれることになります。
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