【朝ドラ・エール】「コロンブスレコード」モデルは「日本コロムビア」

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NHK連続テレビ小説「エール」劇中に登場する架空のレコード会社「コロンブスレコード」についてまとめます。

モデルは古関裕而、古賀政男が専属契約を結んでいた実在企業「日本コロムビア」です。

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目次

「コロンブスレコード」と専属契約

裕一(窪田正孝)は、音楽の才能を音楽家・小山田耕三(志村けん)に認められたことをキッカケに、東京にあるレコード会社「コロンブスレコード」と専属契約を結ぶことになります。裕一の契約報酬は年3,500円。当時としてはかなりの大金です。

コロンブスレコードには大衆向けの流行歌を扱う「赤レーベル」と、西洋音楽などより芸術的な作品を扱う「青レーベル」が存在します。

芸術を志していたはずの裕一の契約は「赤レーベル」。ヒット作を生み出すことに躍起になるディレクター・廿日市誉(古田新太)から再三のダメ出しを食らい、契約打ち切りの危機に陥るなど、裕一は苦悩の時代を過ごすことになります。

一方で、「青レーベル」の中心人物である憧れの人・小山田耕三と親しくなり、同じ時期に専属作曲家となった天才・木枯正人(野田洋次郎)と出会うなど、この時期の裕一は新しい人々との出会いに恵まれていきます。

「コロンブスレコード」主な登場人物とモデル

ディレクター・廿日市誉(古田新太)
秘書・杉山あかね(加弥乃)
作曲家・木枯正人(野田洋次郎)=モデルは古賀政男
作曲家・小山田耕三(志村けん※)=モデルは山田耕筰
歌手・山藤太郎(柿澤勇人)=モデルは藤山一郎
歌手・藤丸(井上希美)=モデルは音丸
歌手・双浦環(柴咲コウ)=モデルは三浦環
歌手・佐藤久志(山崎育三郎)=モデルは伊藤久男
作詞家・高梨一太郎(?)=モデルは高橋掬太郎
作詞家・村野鉄男(中村蒼)=モデルは野村俊夫

▼「あまちゃん」の「太巻」こと荒巻太一を彷彿させる廿日市誉(古田新太)ほか、多彩な面々が東京編を盛り上げます。

▼2023年の朝ドラ「ブギウギ」でも日本コロムビアをモデルにした「コロンコロンレコード」が登場。
「ブギウギ」コロンコロンレコード モデルは日本コロムビア 二人の「女王」笠置シヅ子、淡谷のり子が専属

モデルは「日本コロムビア」

「コロンブスレコード」のモデルは、古関裕而や古賀政男が専属作曲家として活躍した大手レコード会社「日本コロムビア」がモデルになっています。

古関裕而(裕一のモデル)は、英国・チェスター社主催の国際作曲コンクール入賞の快挙が憧れの作曲家・山田耕筰に認められると、山田の推薦により「日本コロムビア」と専属契約を結んでいます(1930年=昭和5年秋)。

結婚したばかりの妻・金子とともに意気揚々と上京した古関裕而でしたが、会社から一向に連絡が来ず、憂鬱な日々を過ごしています。

1931年(昭和6年)5月頃、古関裕而はようやく「日本コロムビア」から2曲の作曲依頼を受けますが、クラシックを希望していた古関裕而の期待とは裏腹に、流行歌の作曲依頼でした。

背に腹は代えられない古関裕而は、「福島行進曲」「福島夜曲(せれなあで)」の2曲を作曲。無事レコードデビューを果たしますが、すぐにはヒット曲に恵まれませんでした。

天才的ライバル・古賀政男

一方、同じ時期に「日本コロムビア」と専属契約をした作曲家・古賀政男は、早くから大衆の心を掴むヒット曲を生み出していきます。

1931年(昭和6年)9月には歌手・藤山一郎、作詞家・高橋掬太郎と組んだ「酒は涙か溜息か」が大ヒット。続く12月にも藤山一郎とのコンビで名曲「丘を越えて」を発表するなど、盟友・古関裕而に先んじて作曲家としての地位を確立しています。

当時、「日本コロムビア」はライバル会社「ビクター」の勢いに押されており、巻き返しを図っていました。「日本コロムビア」としては古関裕而と古賀政男を競わせ、どちらがヒットメーカーとして有能かを見極める時期だったようです。古賀メロディーのブレイクにより、低空飛行を続けていた古関裕而への社内の風当たりは次第に強くなっていきます。

※古賀政男は、1934年(昭和9年)に「テイチク」に移籍しますが、その後「日本コロムビア」に復帰。戦後には「湯の町エレジー」(歌・近江俊郎)、「柔」「悲しい酒」(歌・美空ひばり)などの不朽の名作を生み出し、死後に国民栄誉賞を受賞しています。

古関裕而出世作は「船頭可愛や」

一方の古関裕而。1935年(昭和10年)になると、作詞家・高橋掬太郎と組んで生み出した「船頭可愛や」(歌・音丸)を大ヒットさせています。

また、これを聴いた世界的オペラ歌手・三浦環が自らの歌声でのレコード化を希望し、「日本コロムビア」の「青盤レコード」(外国で活躍する著名な芸術家が対象)にてリリース。「船頭可愛や」の成功により、古関裕而も売れっ子作曲家としての道を歩み始めています。

以降、古関裕而と古賀政男は昭和歌謡、戦時歌謡、そして戦後の数々の名作を生み出し、「日本コロムビア」の屋台骨を支えていきます。「日本コロムビア」は美空ひばり、石川さゆり、都はるみ、舟木一夫ら大物歌手を抱え、こんにちまで日本を代表するレコード会社として成長を続けています。

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