【エール】木枯正人(RADWIMPS・野田洋次郎) モデルは国民的作曲家・古賀政男

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NHK連続テレビ小説「エール」で野田洋次郎(RADWIMPS)が演じる作曲家・木枯正人(こがらし・まさと)についてまとめます。

木枯正人のモデルは、国民栄誉賞を獲得した昭和を代表する作曲家・古賀政男と考えられます。

同期採用の作曲家・木枯正人 ギターが得意

木枯正人は、主人公・古山裕一と同時期に「コロンブスレコード」に採用される作曲家です。裕一と木枯は、売れ線のヒット曲を作ることばかり追い求めるディレクター・廿日市誉(古田新太)のもとで苦楽を共にし、ライバル関係を築いていきます。

木枯は大衆の求める音楽を早くから理解し、くすぶる裕一に先んじてヒット曲、流行歌を作り出していきます。歌手・山藤太郎(柿澤勇人)との出会いもあり「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」などのヒット曲を生み出すと、以降、昭和を代表する作曲家へと成長していくのです。

木枯正人はギターが得意で、行きつけのカフェで弾き語りを披露していきます。ロックバンド「RADWIMPS」でボーカルを担当する野田洋次郎の歌声も、劇中で披露されていきそうです。また、常に裕一のことをリスペクトし続ける木枯と裕一との、天才同士の友情も見どころとなっていきます。

【エール・5月13日】木枯正人(野田洋次郎)がカフェーで歌った「影を慕いて」 古賀政男の初期作品

稀代のヒットメーカー・古賀政男がモデル

木枯正人は、「丘を越えて」「湯の町エレジー」「柔」「悲しい酒」などの名曲を次々と作曲し、日本レコード大賞の創設にも関わった国民的作曲家でギタリストの古賀政男がモデルと考えられます。

1904年(明治37年)に現在の福岡県大川市に生まれた古賀政男は、7歳の時に父が死去したことに伴い、兄がいた朝鮮半島に渡り少年期を過ごしています。中学時代にはマンドリンを手に入れるなど、次第に音楽にのめり込んでいきます。

帰国後、大阪の商店に勤めるなどした後に明治大学予科に入学すると、明治大学マンドリン倶楽部の創設に参加。卒業後も明治大学のマンドリン・オーケストラを指揮指導しながら、ギター・マンドリンの演奏家として身を立てる夢を持ち、音楽活動を続けています。※「エール」の木枯正人がギターが得意だという設定も、「ギタリスト・古賀政男」としての側面を参考としています。

「日本コロムビア」専属に 古関裕而、藤山一郎との出会い

▼後に古関裕而の代表曲「長崎の鐘」(1949年)も歌うことになる、国民的歌手・藤山一郎(1992年・国民栄誉賞受賞)。

1931年(昭和6年)、古賀政男は「日本コロムビア」の専属作曲家として契約を結ぶことになります。当初は作曲に自信がなく文芸部の社員を希望していたという古賀政男。会社の意向をくみ、クビを恐れながら自信のない作曲の仕事をこなしていたそうです。

盟友・古関裕而(古山裕一のモデル)とは「日本コロムビア」の入社時期がほぼ同じ。下積みの苦境にあった者同士、お互い励まし合いながら地下食堂で語り合うことが多かったそうで、この時期の二人の交流をモチーフに、「エール」での木枯・裕一の下積み時代が描かれていきます。

古賀政男の人生が大きく変わったのが、東京音楽学校に在籍中だった歌手・藤山一郎(山藤太郎のモデル)との出会いでした。表現力豊かな藤山一郎の歌唱と出会うと、古賀政男の作曲家としての才能が一気に開花。藤山一郎とのコンビにより「丘を越えて」「酒は涙か溜息か」(1931年)、「影を慕いて」(1932年)などのヒット曲を生み出し、一躍ヒットメーカーになっていきます。※「エール」でも、柿澤勇人演じる歌手・山藤太郎が「丘を越えて」などを歌唱するシーンが登場する見込みです。

古賀政男が才能を開花させるとともに、くすぶっていた古関裕而の社内での立場は厳しいものになったとされます。ビクターと競っていた日本コロムビアは古賀と古関を競わせ、どちらが会社にとって有益か天秤にかけていたとか。

その後も古賀政男は「緑の地平線」(1935年)、「東京ラプソディ」(1936年)、「誰か故郷を想わざる」(1940年)などの昭和歌謡、戦時歌謡のヒット曲を連発しています。

戦後の活躍「湯の町エレジー」「柔」「悲しい酒」

戦後の古賀政男の活躍も目を見張るものが有りました。1948年(昭和23年)には「古賀メロディ」の代表作となる「湯の町エレジー」(歌・近江俊郎)を発表。

1958年(昭和33年)には村田英雄のデビュー・シングルとなる「無法松の一生」、1964年(昭和39年)には190万枚を売り上げた美空ひばりの代表曲「柔」(第7回日本レコード大賞受賞作)を発表。翌1965年(昭和40年)にも美空ひばりとのコンビで名曲「悲しい酒」を発表し、145万枚を売り上げる大ヒットを記録。

1959年には日本作曲家協会を設立し初代会長となり、日本レコード大賞創設にも貢献。1978年(昭和53年)に73歳で亡くなると、王貞治に続く二人目の国民栄誉賞受賞者となるなど、名実ともに日本を代表する作曲家となっています。

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