「ブギウギ」コロンコロンレコード モデルは日本コロムビア 二人の「女王」笠置シヅ子、淡谷のり子が専属

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NHK連続テレビ小説「ブギウギ」に登場する「コロンコロンレコード」についてまとめます。

コロンコロンレコードは、笠置シヅ子が専属契約をした日本コロムビア(コロムビアレコード)がモデル。当時のコロムビアレコードは服部良一によって開花した「ブルースの女王」淡谷のり子と「スイングの女王(後にブギの女王)」笠置シヅ子がともに専属契約をしていました。

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目次

【ブギウギ】「ラッパと娘」を発売したコロンコロンレコード

梅丸楽劇団(UGD)で羽鳥善一(草彅剛)とタッグを組み「ラッパと娘」をリリースした福来スズ子(趣里)コロンコロンレコードから発売された「ラッパと娘」は大ヒット作となり、スズ子は「スイングの女王」と新聞に書き立てられる注目の歌手になっていました(1939年・昭和14年頃)。

※スズ子は大阪の梅丸少女歌劇団(USK)時代に「恋のステップ」ですでにレコードデビュー済みです。

第31回(11月14日放送)では、スズ子が羽鳥に呼ばれてコロンコロンレコードの事務所に顔を出す様子が描かれています。

事務所に顔を出したスズ子は、スズ子のために詞を書いてくれることになった著名な作詞家・藤村薫(宮本亜門)を羽鳥から紹介されると、続けて同レコード専属の「ブルースの女王」茨田りつ子(菊地凛子)とも初対面を果たしています。

スズ子は藤村から「恋人はいるの?いないんだな?一番最近は誰と付き合ったの?一番最近のキスはいつ?」などとセクハラまがいの質問を食らうと、茨田からは「あら、あの下品に歌を歌うお嬢さんだったの。これはこれは」「お芋さんみたいなお顔じゃない」などと吐き捨てられるなど、散々な言われようです。

コロンコロンレコード社員の佐原(夙川アトム)いわく、茨田とスズ子はコロンコロンレコードにとって大事な「ダブル女王」とのこと。

第31回の段階でスズ子が正式にコロンコロンレコードと専属契約を結んでいるのかは明かされていませんが、今後もコロンコロンレコードに出入りするスズ子が茨田といがみ合う姿が見られそうです。

【史実】モデルは「コロムビア」 淡谷のり子、服部良一、笠置シヅ子が邂逅

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「ブギウギ」に登場するコロンコロンレコードは、笠置シヅ子(福来スズ子のモデル人物)、淡谷のり子(茨田りつ子のモデル人物)と専属契約をしていたレコード会社・日本コロムビア(以下、コロムビア)がモデルになっています。

▼作曲家・古関裕而をモデルにした朝ドラ「エール」でも、日本コロムビアは「コロンブスレコード」として登場しています。

1907年(明治40年)に国産の円盤式レコードの生産と販売を行う「日米蓄音機製造」として創業したコロムビア。1927年(昭和2年)からは米国コロムビア・レコード社と提携し、日本最古のレコード会社として今日まで歴史を積み重ねています。

笠置シヅ子の7歳上だった淡谷のり子は、青森の豪商の娘として生まれたものの生家が破産して上京。東洋音楽学校(現在の東京音楽大学)で学び苦学の末に人気歌手になると、1931年(昭和6年)にコロムビアの専属歌手になっています。

1936年(昭和11年)には服部良一がコロムビア専属作曲家になると、服部は入社後の第一作目として淡谷のり子が歌う「おしゃれ娘」を手掛けています。この服部良一・淡谷のり子のコンビは翌年以降に「別れのブルース」「雨のブルース」「思い出のブルース」などヒット作を立て続けにリリース。淡谷のり子はコロムビアで服部良一と出会ったことにより「ブルースの女王」として一気に開花しています。

一方、笠置シヅ子は松竹楽劇団(SGD)参加のために上京した翌年(1939年)に、同楽団で出会った服部良一の尽力によりコロムビア専属の歌手として契約をしています。服部はSGD公演でシヅ子が歌うためのジャズ曲「ラッパと娘」を作曲。笠置シヅ子にとってコロムビア専属の第一作目となった「ラッパと娘」は大ヒットし、笠置シヅ子は「スイングの女王」と呼ばれる人気歌手になっています。

【史実】火花バチバチ?淡谷のり子と笠置シヅ子 コロムビアの二人の「女王」

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同じコロムビアの専属で、共に服部良一の助力により「女王」になった淡谷のり子と笠置シヅ子。二人は互いに意識し合うような身近な関係だったようです(特に淡谷の方が笠置を意識?)。

服部良一プロデュースにより淡谷のり子・笠置シヅ子が出演する「タンゴ・ジャズ合戦」なる音楽会が開催されたり、日米開戦直後には「淡谷のり子とその楽団」と「笠置シヅ子とその楽団」が出演する「銃後を鼓舞する音楽大会」が開かれたりと、二人は何かと活動が重なり、互いの歌う姿を間近で見続けています。

戦後、淡谷のり子は持ち前の毒舌を武器に日本の歌謡界のご意見番になっていくわけですが、特にコロムビアの後輩の笠置シヅ子に対しては辛辣でした。

「東京ブギウギ」で「ブギの女王」となった笠置シヅ子に対し、淡谷のり子は「日本人の誤ったジャズ観があの人(笠置シヅ子)を台無しにしてしまう」などとバッサリ。後年に笠置シヅ子が歌手を廃業して俳優に転向した際にも淡谷のり子は「笠置シヅ子はズルい」などと皮肉めいた冗談を語っており(こうした淡谷の発言に笠置もウィットに富んだカウンターパンチで応戦)、二人の独特な(実は仲良しな?)関係性が垣間見えます。

「ブギウギ」でもコロンコロンレコードを介して出会った福来スズ子と茨田りつ子が、互いに悪態をつきながらも唯一無二のライバル、戦友として絆を深めていく姿が見られそうです。

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