「ブギウギ」センチメンタル・ダイナ(羽鳥善一作曲、藤村薫作詞)が完成 笠置シヅ子が歌った名曲

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NHK連続テレビ小説「ブギウギ」第7週(11月13日〜)より。日宝への移籍騒動引き起こしてしまったスズ子のために、師匠の羽鳥善一らが作り上げた新曲「センチメンタル・ダイナ」についてまとめます。

この「センチメンタル・ダイナ」は笠置シヅ子が「スイングの女王」の地位を確立した時期にリリースされた実在の楽曲で、笠置シヅ子・服部良一コンビによる名作のひとつとなっています。

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目次

スズ子のために作られた新曲「センチメンタル・ダイナ」

羽鳥善一(草彅剛)作曲の和製ジャズ楽曲「ラッパと娘」がヒットし、「スイングの女王」として称賛を浴び始めていた福来スズ子(趣里)

浮かれる気持ちがあったのか、スズ子は憧れの演出家・松永大星(新納慎也)が企む「日宝」への引き抜き話にホイホイと乗ってしまい、お世話になった梅丸幹部たちを激怒させてしまいます。

母のツヤ(水川あさみ)が何よりも大切だと教えてくれた「義理と人情」をないがしろにしてしまったスズ子。自己嫌悪に陥って泣きながら下宿先の自室に戻ると、そこには師匠の羽鳥善一と作詞家の藤村薫(宮本亜門)が賑やかに待ち構えていました。

羽鳥と藤村は、スズ子のために書き下ろした新曲をブラッシュアップしている最中でした。スズ子が歌うのにふさわしい歌詞はどういったものか(「溜息ばかり」「涙」など)を楽しそうに激論する二人の姿を見たスズ子は、なぜだかまた涙が溢れ出てしまいます。

苦心の末に完成する、スズ子のための新曲「センチメンタル・ダイナ」

「これを見ても君の心が変わらないなら仕方がない…」そう言ってスズ子に新曲の楽譜を渡す羽鳥ですが、梅丸にも日宝にも義理を欠く行動をしてしまったスズ子は、「自分にはこれ以上歌う資格がない」と羽鳥に伝えて…。

笠置シヅ子の戦前の名曲「センチメンタル・ダイナ」

▼こういうジャケ写が採用されてしまうあたり、笠置シヅ子のキャラクターがわかります。大阪出身で何かとサービス精神が旺盛だった笠置シヅ子を、「ブギウギ」では趣里がうまく演じているように思います。

メインアーティスト:笠置シヅ子
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1938年(昭和13年)、松竹楽劇団(SGD)に参加するために大阪から上京した笠置シヅ子(「ブギウギ」福来スズ子のモデル)は、SGDの音楽監督・服部良一(「ブギウギ」羽鳥善一のモデル)に出会うと、ジャズ歌手として才能を開花させていきます。

翌1939年(昭和14年)には、服部の尽力により大手レコード会社・日本コロムビア(「ブギウギ」コロンコロンレコードのモデル)と専属契約を締結。コロムビア専属歌手として第一作目となる「ラッパと娘」(※SGDのレヴュー曲として作曲された)を発売するなど、笠置シヅ子は歌って踊れる「スイングの女王」として一躍人気になっています。

この「ラッパと娘」のB面曲(カップリング曲)として収録されたのが、作曲・服部良一、作詞・野川香文による名曲「センチメンタル・ダイナ」でした。

※1938年(昭和13年)に発売された淡谷のり子(「ブギウギ」茨田りつ子のモデル)の名曲「雨のブルース」(日本コロムビア)も、作曲・服部良一、作詞・野川香文のコンビにより作られています。

日本コロムビアには「ブルースの女王」淡谷のり子と「スイングの女王」笠置シヅ子の二人の「女王」が所属しており、ともに服部良一から楽曲提供をされてスターになっています。

スズ子、秋山の青春模様とリンク?「センチメンタル・ダイナ」の歌詞

「センチメンタル・ダイナ」は、「♪バドジズ デジドダー〜」の明るい曲調を持つA面のジャズ曲「ラッパと娘」とは毛色が違い、ブルースを思わせるしっとりとした曲調です。この2年前(1937年)に同じく服部良一が作曲した淡谷のり子の大ヒット曲「別れのブルース」にも通ずる、和製ブルースの意欲作といったところでしょうか。

歌詞は著作権の問題があり詳細は明記できませんが、「淋しい瞳」「涙」「ほほえみは消えて」「溜息ばかり」「歌えよダイナ」「踊れよダイナ」などのワードが散りばめられ、恋や人生に悩む若い女性を鼓舞するかのような内容。後に愛する人との別れなどを経験して激動の人生を歩むシヅ子の人生ともリンクする内容となっています。

「ブギウギ」第7週の終盤では、移籍騒動の大失態と松永への失恋という大きな心の傷を負ったスズ子が「センチメンタル・ダイナ」を情感豊かに歌い上げることになります。

恋に仕事に悩むスズ子と秋山の青春の姿が、「センチメンタル・ダイナ」の歌詞とオーバーラップしていきそうです。

【余談】
表題と歌詞に登場する「ダイナ」というワードは、1925年にアメリカで発表されたポピュラーソング「ダイナ(Dinah)」がモチーフになっている可能性があります。

戦前の日本には多くの西洋の音楽が流入していました。ルイ・アームストロング、デューク・エリントンらアメリカの著名なミュージシャンも愛してカヴァーした「ダイナ(Dinah)」も、日本で1934年(昭和9年)に中野忠晴とコロムビア・リズム・ボーイズ、ディック・ミネらによりカヴァーされ、特にディック・ミネによる「ダイナ」は大ヒット曲となっています。「ダイナ」は、狂わしいほどに美しい恋人・ダイナへの思いを歌ったものですね。

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