NHK連続テレビ小説「花子とアン」第10週から第11週のストーリーより。
安東はな(村岡花子)の初めての出版物となる『たんぽぽの目』と『爐邉』についてまとめてみました。
はなは「たんぽぽの目」が絶賛され、出版される
▲「村岡花子と赤毛のアンの世界」第三章には、「たんぽぽの目」「みみずの女王」が収録されています。
阿母尋常小学校に教師として勤務する傍ら、安東はな(吉高由里子)は新作童話『たんぽぽの目』を書き上げます。
この『たんぽぽの目』が東京の出版社向学館の梶原(藤本隆宏)から「ありふれた日常を切り取った作品に洗練された平凡を感じる、それは非凡に通じる」と高い評価を受け、是非出版させて欲しいと提案されます。
思いもよらない提案に驚くはな。梶原は近々独立して新しい出版社を立ち上げる予定であり、その記念すべき一冊目として『たんぽぽの目』を出版したいとのことで、晴れて『たんぽぽの目』は刊行される事になります。これがはなにとっては初めての出版物となります。
村岡花子の初出版本は「爐邉」(ろへん)
▼この記事の「村岡花子」に関する内容は、「アンのゆりかごー村岡花子の生涯」(新潮文庫)を参考にして書かれています。
安東はなのモデルである村岡花子は、大正6年(1917年)に自身初めての本となる『爐邉』(ろへん)を日本基督教興文協会から出版しています。
花子は甲府の山梨英和女学校での教師生活の傍ら、寄宿舎の一室でこつこつと翻訳と執筆を続けていました。(※「花子とアン」の安東はなは実家から尋常小学校に通勤していましたが、村岡花子は山梨英和の寄宿舎で暮らしていました。)
「少女画報」に寄稿 女学生たちからは羨望の眼差し?
花子は当時、すでに少女向けの文芸雑誌「少女画報」に「童話とも少女小説ともつかないような物語」を寄稿して居り、山梨英和の女学生たちに物語をせがまれたと言います。
英語をスラスラと話し小説も執筆する花子は、生徒達から一目置かれていたよう。花子の机の上にはいつも生徒達が持ってきた花束が絶えなかったそうです。
成長期に安心して読める読み物を
当時花子は、自身が東洋英和の書籍室で読み耽ったような、成長の過程で心の指針となるような本がまだ日本には少ないと感じていました。
花子の前書きによれば、『爐邉』は「姉も妹も父も母も一緒に集まって聲(こえ)出して読んでも、困るところのないやうな家庭向きの読物」十三篇(うち一つは自身の作)。
「愛する母國の家庭にさういふ性質の讀物を献(ささ)げる一人になりたい」との思いで集められ、翻訳された読み物だそうです。
『爐邉』=山梨の農村の幸福な家庭の風景
山梨英和の教師時代に、花子は生徒達の家にたびたび招かれています。その農村の家庭の中で味わった「暖かい炉を囲む幸福な家庭の姿」が、『爐邉』(ろへん=炉辺)というタイトルに投影されています。
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