NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第5回では、北条家の嫡男・北条宗時(片岡愛之助)が最期の時を迎えるという衝撃の展開が見られます。
「鎌倉殿の13人」で描かれる北条宗時の死因、史実として伝わる北条宗時の最期についてまとめます。
石橋山の戦いで山中に敗走
「鎌倉殿の13人で」第5回では、打倒平家を掲げて挙兵した源頼朝軍が緒戦の山木兼隆、堤信遠との戦いに勝利し、相模の強者・大庭景親軍と石橋山(現在の神奈川県小田原市)で激突する様子が描かれます。いわゆる「石橋山の戦い」ですね。
この戦いで頼朝軍は大庭の大軍勢の前に大敗し、大将の頼朝は北条義時(小栗旬)、宗時(片岡愛之助)らに守られて山中を敗走することになります。源頼朝(大泉洋)は洞窟に身を隠し、九死に一生を得ます。
▼石橋山の戦いで大敗した源頼朝が身を隠したとされる「しとどの窟」(現在の湯河原町鍛冶屋)。
頼朝の御本尊を取りに帰った宗時は…
\#鎌倉殿の13人 インタビュー/
— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) January 30, 2022
北条宗時役・片岡愛之助さんのインタビューを公開しました。#片岡愛之助 #北条宗時https://t.co/DqavuJpDQi
一歩間違えば大庭軍に斬首されてもおかしくない状況の中、頼朝は髻(もとどり)の中に隠していた小さな観音像を取り出して見やりますが、御本尊は北条の館の離れに残したままでした。
それを聞いた宗時は御本尊を取りに北条の館方面へ、義時と時政は援軍を要請するために甲斐の武田信義の陣へと向かい、別々の行動をとることになります。
北条の館の近くまで迫った宗時の背後には、平家方である伊東祐親から命を受けた下人・善児(梶原善)の影が迫っていました。善児は背後から宗時に襲いかかると、宗時の喉元を一気に掻き切って…。
★架空の人物・善児 今後も次々と暗躍
劇中に登場している伊東祐親の下人・善児は、架空の人物と考えられます。伊東祐親に命じられて八重と頼朝の息子・千鶴丸を亡きものとし、今度は北条宗時を消し去り…。主の命令を忠実に実行していく仕事人・善児ですが、やがて主の伊東祐親らに刃を向ける展開となります。
史実 小平井久重に討たれる
善児の暗躍により、あっけなくその生涯を閉じてしまう「鎌倉殿の13人」の北条宗時。伝わる史実と比較すると、「鎌倉殿の13人」で描かれる宗時の最期は、半分は史実通り、半分はドラマ上の創作と言えそうです。
北条時政の嫡男として生まれ、頼朝挙兵の中心人物となった北条宗時。しかし、志半ばにしてその生涯を閉じています。
挙兵緒戦の伊豆目代・山木兼隆邸の襲撃に先導役として参加し、勝利に貢献した宗時でしたが、続く大庭景親軍と戦った「石橋山の戦い」では大敗。宗時らはわずかな騎兵とともに頼朝を守りながら山中に逃げ込んでいます。
この時、土肥実平の「人数が多くてはとても逃れられない」という進言もあり、北条父子は頼朝と別れ、時政と義時は甲斐国へ。宗時は山を降り、伊豆国の平井郷(静岡県田方郡函南町平井)方面へと向かっています。
※頼朝はその後、土肥実平が用意した船で真鶴から安房(現在の千葉県南部、房総半島)への脱出に成功。安房から再起をはかっています。
父弟と別れた宗時は平井郷の早河(早川)付近で平家方の伊東祐親軍に包囲されると、平井郷の名主・小平井久重(おびらい・ひさしげ=小平井紀六久重とも)に射られ、討たれてしまいます。※この小平井久重という人物は、劇中に登場している善児とは別人物と思われます。
JR東海道本線の函南駅の近くの高台には「宗時神社」があり、「北条宗時 狩野茂光の墓」が今も残されています。
函南の地は、石橋山(神奈川県小田原市)から敗走し、北条の館があった伊豆方面(現在の伊豆の国市・狩野川沿岸)へと向かう経路上にあります。ドラマで宗時が山中から北条の館方面へと向かう途中に討たれたという描写も、おおむね史実に近いと言えそうです。