NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に登場する相模の豪族・土肥実平(どひ・さねひら)についてまとめます。
土肥実平を演じるのは、三谷幸喜主催の劇団「東京サンシャインボーイズ」に所属する俳優・阿南健治です。
【第4話】頼朝の「でまかせ発言」に感激 長年従う関係に
相模国の有力豪族・中村氏の一族で、土肥郷(現在の神奈川県・湯河原町付近)を本拠とした土肥実平。
「鎌倉殿の13人」第4回では、源頼朝(大泉洋)の挙兵に応じる代わりに領土を安堵してほしいと願い出る土肥実平(阿南健治)に対し、頼朝が「わしが一番頼りにしているのはお前なのだ!」と口からでまかせに発言。
これにすっかり感激した(騙された?)実平は、「どこまでも佐殿にお供いたします!」と頼朝に宣言。以後、土肥実平は平家の打倒、鎌倉政権樹立に大きな貢献をしていくことになります。
どうやら土肥実平は人がよく誠実で、和を重んじるキャラクターのようですね。
▼阿南健治(あなん・けんじ)は、大分県竹田市生まれ、兵庫県育ちの59歳の俳優。20歳で単身渡米し、帰国後に蜷川幸雄の劇団員となると、20代後半に三谷幸喜と出会い、三谷幸喜主催の劇団「東京サンシャインボーイズ」に所属。以来、「THE 有頂天ホテル」「ザ・マジックアワー」「清須会議」といった三谷幸喜監督作品映画や、ドラマ「ごくせん」、NHK朝ドラ「だんだん」「まんぷく」「舞いあがれ!」などに出演。三谷幸喜による大河ドラマ「新選組!」「真田丸」にも出演。
/#土肥実平 役・ #阿南健治 さん
— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) November 18, 2020
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頼朝に従い 源氏の勝利に尽くす
北条義時らと協調し、平家打倒を目指す頼朝の挙兵に協力した土肥実平。
頼朝が石橋山の戦いで大庭景親軍に大敗した際には、頼朝とともにわずか7,8騎の残党で山中に敗走し、九死に一生を得ています。この後、頼朝は真鶴から海路で安房(千葉県南部)へと脱出していますが、逃走用の船を手配したのは実平だとされます。
やがて頼朝が千葉常胤、上総広常らの参陣を得て安房の地で再挙すると、実平は平家の追討軍と対峙した富士川の戦いなどに参戦。
その後も源範頼、義経軍に従軍し、木曽義仲(源義仲)軍との戦い(宇治川の戦い)、一ノ谷の戦い、屋島の戦いなどに参戦。合戦後には頼朝から吉備三国(備前、備中、備後)の惣追捕使(=守護)を任され、源範頼の進軍を支援しています。
また、平家が滅亡に至った壇ノ浦の戦いでも活躍を見せると、戦後には平家鎮静のため長門・周防国に惣追捕使として派遣され、長府(現在の山口県下関市)に土肥山城を構えています。
その後、文治5年(1189年)には奥州合戦に参加。建久元年(1190年)に頼朝が上洛した際には右近衛大将拝賀の随兵7人の内に選ばれて参院の供奉をするなど、頼朝の厚い信任を受け続け、源氏の勝利、鎌倉政権の誕生に大きな貢献を見せています。
▼現在も下関市に残る「長府侍町」の地名。これは土肥実平が惣追捕使として長府に派遣された際に、彼と行動を共にした侍たちをこの地区に住まわせたことが由来だとか。
※土肥山城があったと思われる侍町の西側、日頼寺の西南側周辺は宅地開発で山が削られ地形も変わっており、土肥山城のあった場所ははっきりとわからないようです。町内の土肥山公園には土肥山頂(?)から移設された「土肥次郎實平之城址」の碑が残ります。