「鎌倉殿の13人」北条泰時の泣き声「ぶえい、ぶえい(武衛、武衛)」の持つ意味 上総介広常の生まれ変わり?

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」4月17日放送の第15回で、生まれたばかりの北条義時の長男・泰時が「ぶえい、ぶえい」と泣くという戦慄のシーンが描かれています。

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「…謀りやがったな」上総介の理不尽すぎる最期

「鎌倉殿」こと源頼朝躍進の大貢献者である上総介広常(佐藤浩市)。

第15回放送では、源頼朝と大江広元の謀(はかりごと)により上総介が「謀反人」としてでっち上げられ、御家人たちの目の前で梶原景時により斬り捨てられてしまいます。

頼朝を「武衛(ぶえい)=マブダチ」と呼んで慕い、頼朝のために必死で文字を習い、東国の太平を強く願っていた上総介。「最も頼りになる者は、最も恐ろしい…」というあまりにも理不尽な理由により、上総介ははめられ、無念の最期を迎えてしまうのです。

※武衛の由来は?

上総介が頼朝を「武衛」と呼ぶようになったのは、第8回のこと。宴会の席で上総介が頼朝のことを呼び捨てにしているのを見て慌てた三浦義村が、「唐では親しい人のことを武衛と呼ぶ」と上総介に吹き込んだのが始まりです。実は「武衛」は「兵衛府(ひょうえふ)」を意味し、佐殿(すけどの)よりも更に上の尊称。上総介はそれを知らずに「マブダチ」を呼ぶつもりで「武衛」を連呼しているのです。

北条泰時誕生「ぶえい、ぶえい…」の泣き声

上総介の死の衝撃が尾を引く同年、北条義時の長男(後の北条泰時)が誕生しています。

妻の八重をねぎらい、初子を嬉しそうに抱きかかえる義時でしたが、その可愛らしい赤子の口から出た泣き声は「ぶえい〜、ぶえい〜」。亡き上総介を思わせる独特すぎる泣き声に、義時は戦慄を覚えてしまいます。

この泣き声に対し、ネット上では泰時は上総介の生まれ変わりなのでは?という声が多くあがっています。

北条泰時は以下のような功績を残しており、無念のうちに亡くなった上総介が泰時に生まれ変わって事を成し遂げたというファンタジーも信じてみたくなります。

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「評定衆」システムの確立、誰でも読める「御成敗式目」作成

高邁な人柄を持ち、生前の頼朝にも寵愛されたという北条泰時。父・義時の死後には家督を相続し、鎌倉幕府の第3代執権として政治の表舞台に立っています。

泰時は以下のような新しい武家社会のルールを整備したことで知られます。その功績は、口は悪くとも東国の太平を望んでいた上総介の遺志(あるいは武衛への復讐心?)に通ずるものがあるかも知れません。

※「鎌倉殿の13人」は北条義時が主人公であり、義時の死後の泰時の活躍がどこまで描かれるかは不明です。

①みんなで話し合う「評定衆」設置 頼朝から続く専制体制に区切り

ドラマの主題ともなっている「13人の合議制」は、源頼朝の死後の建久10年(1199年)にわずか18歳で第2代将軍となった源頼家(暗君ともされる)の独断政治を止めるべく、北条時政、義時、大江広元、比企能員ら有力宿老13人の合議が行われるようになったもの。

正治元年(1199年)にメンバーの梶原景時が失脚し、正治2年(1200年)には安達盛長と三浦義澄が相次いで病死したことで組織のパワーバランスは崩壊して形骸化。「13人の合議制」は幕府内の権力闘争の場になってしまいます。

それから25年後の嘉禄元年(1225年)。すでに頼朝、政子、義時、大江広元ら要人が亡くなっていた幕府では北条泰時が中心となり、「13人の合議制」を原型とした「評定衆」のシステムを制度化。泰時、御家人の三浦義村、幕府事務官僚の中原師員ら13人が集まり、幕府の最高機関として様々な取り決めを行う新しい「合議制」をスタートさせています。※これに合わせ、心機一転のために鎌倉内の別の場所に幕府を新造。「プチ遷都」を行って旧体制への決別をはかっています。

この「評定衆」の設置は、頼朝(政子)、頼家、実朝と続き、第4代将軍・藤原頼経(摂家将軍。頼朝の遠縁)へと名目上受け継がれていた将軍による権力専有の構造に区切りを付けたともされます。※とはいえ形式上は「鎌倉殿」のトップは変わらずに尊重。それ以前から第4代・頼経は政子、義時らが担ぎ上げた傀儡政権。

「評定衆」を取りまとめる「執権」を泰時が務めて以降、歴代の執権を北条家(特に嫡流の得宗家)が受け継ぎ、絶大な権力は将軍から北条家へと移っていきます(執権政治)。

※泰時が上総介の生まれ変わりだとすれば、皆で話し合う「評定衆」システムの確立は、権力のままに独裁をふるい御家人たちを振り回した頼朝とその一族への復讐ともとれますね。とはいえ、その奪った権力が結局北条家(得宗家)へと集まってしまうのは皮肉というか…。

②やさしい仮名で誰でも読める「御成敗式目」

北条泰時の功績として最も有名なのが、貞永元年(1232年)に制定された日本初の武家に関する法律「御成敗式目」でしょう。

北条義時が朝廷を倒した「承久の乱」以降、日本各地を統治する上での倫理観、慣習などが(特に西国などで)異なり、争い事が絶えませんでした。また、折からの飢饉などで世情も安定せず、世の中は混乱を見せていました。

そこで執権の座にあった北条泰時が中心となって評定衆の一部と協議し、武家社会の慣習法や一般常識、倫理観、源頼朝以来の幕府の膨大な判例などを整理。裁判の基準などを武家法「御成敗式目」としてまとめて各地の武士に周知徹底させ、犯罪の未然防止や世の中の安定、武士の諍いの撲滅がはかられました。

この「御成敗式目」で面白いのが、文字に明るくない(難しい漢字を読めない)津々浦々の武士たちでも読めるような平易な仮名文字で書かれていることです。

「この式目は、只かなをしれる物の世間におほく候ごとく、あまねく人に心へやすからせむために、武家の人へのはからひのためばかりに候」(北条泰時消息文)

※文字に明るくないといえば、頼朝と親しくなってから一生懸命に文字の読み書きを勉強していた上総介を思い出しますよね。

文字の読み書きに苦労した上総介が泰時に生まれ変わり、誰もが読める「御成敗式目」を完成させた…。そんな想像を巡らせてしまいます。

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