NHK連続テレビ小説「風、薫る」に登場する梅岡女学校女学校の校長、看護婦養成所長の梶原敏子(かじわら・としこ)。朝ドラ「あまちゃん」などでおなじみの俳優・伊勢志摩が演じます。
この梶原敏子という人物は、桜井女学校(後に女子学院)の校長などを務めた教育者・矢嶋楫子(やじま・かじこ)がモデルになっていますので、簡単にご紹介します。
やる気なし?校長兼看護婦養成所長の梶原敏子
📺#朝ドラ 【#風薫る】
— 朝ドラ「風、薫る」公式 (@asadora_nhk) April 26, 2026
“トレインドナース=正規に訓練された看護師”という職業を確立するため、看護婦養成所の第1期生がそろいました。
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見上愛 上坂樹里
伊勢志摩 玄理
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大山捨松(多部未華子)の勧めで梅岡女学校付属看護婦養成所に入学したりん(見上愛)と直美(上坂樹里)。決意を胸に初登校をした二人でしたが、少し肩透かしを食らうことになります。
7人の養成所入学者を教室で出迎えたのは、梅岡女学校の校長と看護婦養成所長を兼任している梶原敏子(伊勢志摩)と、英語教師で寮の舎監、通訳も兼ねる松井エイ(玄里)。
最初に梶原校長が皆の前で挨拶を行いますが、校長は直美の断髪姿に気を取られて気もそぞろ。おまけに校長は挨拶を済ませると「あとは松井先生、よろしくお願いします。フフフ…。」と言って教室をさっさと出ていってしまいます。
どうやら付属看護婦養成所は急ごしらえで開設されたらしく、学校側の受入れ体制はまだ整っていないようです。
梶原校長も教育者ではあるものの看護のことはよくわかっておらず、養成所の現場の細かいことは松井先生に丸投げ。養成所に対してやる気があるように見えません。
実は養成所開設の時点で、看護教育を担当することになる熱血外国人教師・バーンズ先生はまだ日本に到着しておらず。看護のことが専門外である梶原校長と松井先生は、この時点で何も教えることが出来ない状態であり…。
▼伊勢志摩(いせ・しま)は岩手県出身の56歳の俳優。大人計画所属。出身地の御当地朝ドラだった「あまちゃん」の花巻珠子役で人気となり、「虎に翼」(立花幸恵役)にも出演。名脇役として知られる。
\本日から登場 /
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<看護婦養成所・所長>
梶原 敏子 #伊勢志摩
<看護婦養成所・舎監兼通訳>
松井 エイ #玄理
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モデルは教育者・矢嶋楫子か
伊勢志摩が演じている教育者・梶原敏子は、女子教育者の矢嶋楫子(やじま・かじこ)がモデルになっていると考えられます。
矢嶋楫子は、「風、薫る」Wヒロインのモデルである大関和、鈴木雅が通った桜井女学校(付属看護婦養成所)の校主だった人物です(看護婦養成所の校長も兼任)。
1833年(天保4年)、熊本で後に「肥後の猛婦」「四賢婦人」と呼ばれる姉妹たちの下に生まれた矢嶋楫子。姉の順子(竹崎順子)は熊本女学校校長となった教育者であり、その下の姉の久子(徳富久子)は徳富一敬と結婚して文豪兄弟の徳富蘇峰・徳冨蘆花を生むなど、姉妹それぞれが名を残しています。
酒乱の結婚相手(後妻)の暴力にあうなど苦しい日々を過ごした後に離縁して上京し、40歳で桜川小学校(現・港区立御成門小学校)の教員になった矢嶋楫子。後に米国の宣教師で教育者のマリア・ツルーに出会うと、彼女との縁で新栄女学校(東京築地に設立されたミッション系スクール)の教師に請われています。
同じくミッション系スクールである桜井女学校との出会いも、マリア・ツルーに導かれたものでした。当時、創設者の桜井チカが去っていた桜井女学校の校主の後任を探していたツルーが、矢嶋楫子に白羽の矢を立てたのでした。
矢嶋楫子は、桜井女学校に入学した生徒たちを前に「あなたがたには聖書があります。自分を自分で治めなさい」と語って校則を作らず、生徒の自主性を重んじる教育を展開。
稼業が傾いて月謝を払えなくなった生徒に対しては「内緒で空の月謝袋を出しなさい」と言って助け舟を出すなど、厳しくも慈悲深い人柄により生徒たちから慕われたようです。
矯風会の活動に深く関わる 生徒たちにも影響
▼「風、薫る」の原案である「明治のナイチンゲール 大関和物語」。大関和らが桜井女学校付属看護婦養成所に入学し、校主の矢嶋楫子に影響を受ける様子が描かれています。実は矢嶋楫子には不義により生まれた隠し子がおり、それを隠している矢嶋楫子に対して大関和が疑問を持つような描写も。また、矢嶋楫子が離縁する覚悟を伝えるために髪の毛を根本から切り落とし、それを夫のもとに送り届けたという豪快エピソードもあります。
辛い結婚生活の影響などもあり、矢嶋楫子は教育者としての顔とともに「東京婦人矯風会」の会長に就任するなど婦人矯風運動(禁酒運動)に深く関わったことでも知られます。※当時の男性は酒に酔って家庭内暴力を繰り返すケースも多く、禁酒運動が女性解放運動と結びついていました。
「風、薫る」の原案となっている大関和の伝記的小説「明治のナイチンゲール」には、大関和ら桜井女学校付属看護婦養成所の第一期生6人が校主の矢嶋楫子と出会い、その考えに大きな影響を受けていく様子も描かれています。
第一期生のうち、特に矢嶋楫子の婦人矯風運動に感銘を受けた3名は、養成所卒業後に看護婦の道には進まず婦人矯風会での仕事に従事。廃娼運動に関わるなどしています。
矢嶋楫子自身も長年に渡り矯風運動に従事し、74歳の時には万国矯風会第7回大会に出席してルーズベルト大統領と会見するなど、日本の矯風会の活動に大きく貢献し続けました。
桜井女学校はその後、新栄女学校と合併して現在の女子学院(女子学院中学校、高等学校)となっています。
矢嶋楫子は合併して誕生した女子学院の初代院長になると、81歳で名誉院長として引退するまで女子学院の院長を務め、女子教育者として長年にわたり功績を残しています。
▼「風、薫る」では桜井女学校付属看護婦養成所の第一期生6人をモチーフとした、7人の生徒たちが登場しています。