朝ドラ「ブラッサム」第2週では、珠の父・清治が咳き込み、胸をおさえて苦しむ姿が描かれます。
清治のモデルとなった宇野千代の父・俊次は、千代が16歳の時に亡くなっています。千代の自伝『生きて行く私』には病に衰えていく父の様子が記されていますが、具体的な病名は明記されていません。
ドラマで描かれる清治の異変と、千代が書き残した父・俊次の最期の様子などをご紹介します。
【ブラッサム】放蕩無頼の父・清治に異変 病を隠していた?
珠の父・葉野清治(渡部篤郎)は、岩国有数の酒造会社「葉野酒造」の長男として生まれながら、家業を継がず自由奔放に生きる放蕩者です。
清治は珠(石橋静河)や継母のリョウ(国仲涼子)に理不尽な態度を取ることが多く、珠は怖い清治の顔色を伺いながら生きる少女に育っています。
珠が高等女学校の四年生になった頃。清治と叔母が取り決めた従兄との結婚生活が嫌になり、嫁いで3日で実家に舞い戻ってきた珠は、いつものように清治に叱られると思いビクビクしていました。
ところが、清治は謝る珠に対しなぜか「わかった」と言うだけ。珠とリョウは怒らない(覇気がない?)清治のことを不思議に思います。
ある日、清治は咳き込み、胸をおさえて苦しみだします。すぐに医者に診てもらったところ、どうやら清治はだいぶ前から調子が悪かったものの、それを隠していたらしく…。


【史実モデル】宇野千代の父・俊次の死因は? 自伝に病名の記載はなし
清治のモデルとなった宇野千代の父・宇野俊次は、千代16歳、女学校3年生だった1913年(大正2年)2月8日に57歳で亡くなっています。
千代の自伝的小説『生きて行く私』には、俊次が病に冒され衰弱していく様子が記されています。ただし、俊次のはっきりとした病名や死因は明記されていません。
「バルザックかドストエフスキーの小説にしか出て来ないような一種の奇人乃至狂人だった」
「馬を何頭も飼って競馬に出し、博打もし、あらゆる道楽をし、放蕩を極めた」
「対話は父の命令と私の答えだけにかぎられた」
「草履は腐るが足は腐らんと言って、雪の日に、学校へ行くのに裸足で行かせた」
などなど「ブラッサム」の清治同様に家族に対して理不尽かつ峻厳な態度を見せ、随所でモラハラ臭が満載だった俊次ですが、あれよあれよと衰弱して亡くなってしまいます。
俊次の死の間際の様子が『生きて行く私』に書き残されていますので、以下に簡単にまとめておきます。
後述するように、宇野千代は俊次の病状について、幾度も血を吐き、眼窩が落ち込んで骸骨のように衰弱していたと記しています。ただし、こうした描写だけで病気を判断することはできず、俊次の病名・死因は確認した資料からは特定できません。
【史実モデル】死の間際に包丁を手に暴れた俊次 死後、千代は解放感を得る
父と伯母が決めた従兄・藤村亮一との最初の結婚生活に耐えきれずわずか10日で実家に戻ってきた千代は、その10日間の間にひどく衰弱してしまった俊次の姿に驚きを隠せませんでした。
俊次は千代が不在だった10日の間ずっと寝込み幾度も血を吐き、千代が再会した時には眼窩は落ち込んで骸骨のような姿になってしまっていました。俊次は以前から病気を患っていたらしく、それもあって自分の結婚を急いで決めさせたのではないかと後に千代は振り返っています。
翌年の2月、岩国に珍しい大雪が降った3日後に俊次はあっけなく亡くなってしまいます。
大雪が何かを狂わせたのか、亡くなる直前に俊次は家に誰も居ない隙に台所にあった出刃包丁を手にして往来に飛び出すと、「寄るな、寄って怪我するな、寄るとどいつもぶった切るぞう」と包丁を振り乱して大騒ぎ。
汚物も垂れ流しながら暴れる俊次を町の男衆が押さえつけて家に連れ戻していますが、この時すでに俊次の手はだらりと垂れ下がり、生きているものとは思えなかったそうです。
厳格な父の死により宇野家の兄弟たちはもちろんのこと、継母のリュウも解放感を得たようで、俊次が居なくなってからは家の中の空気が随分と和らいだそう。
家の外にでんでんでんと「でこ廻し」の太鼓の音が響けば弟たちが俊次の視線を気にせずに飛び出していくようになり、リュウは夜になると珠を連れて「浮かれ節」を聞きに座敷を訪れるようになるなど、宇野家はすっかり俊次の抑圧から解放されたのです。
「ブラッサム」第2週の週タイトル「父からの、解放」が示す通り、珠は清治の死により喪失感とともに清治の支配、抑圧からの解放を味わうことになります。
その一方で、清治の「他人の目を気にしない奔放な生き方」は知らず知らずのうちに珠の中にも受け継がれていきそうであり、これが珠の今後の人生に大きな影響を与えていきそうです。
