NHK連続テレビ小説「あさが来た」の主要人物として登場している五代友厚(ディーン・フジオカ)。ドラマでは先進的で垢抜けているイケメンお兄さんのイメージで描かれている五代ですが、実際の五代の人物像はそれとは少し違うようです。
この記事では、今に伝わる五代友厚の素顔、人物像などについてまとめます。
穴だらけの服、無骨な薩摩男だった?
「あさが来た」ではいち早く洋装を取り入れ、ウイスキーやビールに親しむなど、洗練された人物として描かれている五代友厚。しかし、「大阪人物辞典」(三善貞司編・清文堂)には、それとは少し違う「薩摩男」らしい無骨な五代の姿が記されています。
イギリスの外交官のアーネスト・サトウによれば、五代は「気品あり容貌勝れ、世界を見通した稀なる好漢」(これはドラマのイメージ通り?)とのことですが、その実像は以下のようであったとされます。以下、「大阪人物辞典」より引用。
「身なりは粗末なカスリの単衣にヘコ帯をグルグル巻きつけ、タバコの焦げ穴だらけも平気の平左、洋服は夏・冬に一着ずつ、西洋通の癖に大の洋食嫌い、来客には必ず鹿児島流のごった煮とアワモリを出し、きつい鹿児島弁でまくしたてる」
剛毅果断 ビジネス向きの性格
その性格は「剛毅果断」(意志が強く、思いきって事を行なう、決断力に富んでいるさま)。「失敗と成功の岐れ道は、ほんの紙一枚だ。進む者は成功し後れる者は失敗する。機を見るに敏、進退を誤らぬこと」を口癖とし、常にいち早く時代を見抜き、類い稀な決断力によって行動を起こすタイプだったようです。
また、プライベートでは囲碁を趣味としましたが、もっぱら防御型の戦略を好んだとか。
「あさが来た」でも一部描かれましたが、「北海道官有物払下事件」で世間から汚名を着せられた五代は、すっかり意気消沈したともされます。五代が「黒い政商」などと後世批判されるのも、この事件の影響が大きいようです。事件の三年後、五代は糖尿病によりわずか49年の人生に幕を下ろしています。
五代は利潤を自らの懐に入れず次々に新しい事業につぎ込んでおり、死後に百万円を超す莫大な借財が残りました。死して残された借財の多さが、国を想う五代の志を物語っているといえます。
五代友厚の家族、子孫は?
「あさが来た」では家族についての描写が一切ありませんが、五代には先妻・広子、後妻・豊子がいました。
広子との間に娘・治子をもうけたものの離婚。他に長女・五代武子、次女・五代藍子(京都宮侍の娘とされる)、三女・土井芳子、四女・杉村久子、それに男子・秀夫、友太郎と多くの子供を授かっています。
このうち、長女・武子が結婚した九里龍作は五代の事業を継ぎ(その息子・信厚は法学士に、娘・厚子はチッソ社長・白石宗城に嫁ぐ)、次女・藍子は炭鉱業を営み、名門商家に嫁いだ四女・久子の息子・正二郎は日本サッカー協会理事、弟の正三郎もサッカー日本代表選手として活躍しており、子孫たちも多方面で活躍しています。