【あさが来た】福沢諭吉は「散歩党」を結成するほど散歩好きだった 小走りだった理由は?

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NHK連続テレビ小説「あさが来た」12月22日(火)放送回で、福沢諭吉(武田鉄矢)が小走りに「散歩」をしているという、少々おかしな場面がありました。

この場面に関して「散歩をもっと楽しくする本(遠藤昭)」に、「福沢諭吉」と「散歩」にまつわる面白い話があるので、その内容をまとめてみます。なぜか諭吉が小走りしていたのにも、理由がありそうです。

小走り散歩集団・福沢諭吉

明治11年(1878年)。五代友厚(ディーン・フジオカ)により東京に招かれたあさ(波瑠)は、陸蒸気で新橋へと降り立ちます。そこで見かけたのが、福沢諭吉が若い者たち4人ほどを従えて散歩(小走り?)をしている姿でした。

男の集団が下駄をかき鳴らし足早に町を駆け抜ける、少々変なこの場面。福沢諭吉が大の「散歩好き」だったことを参考にして描かれたものだと思われます。

「散歩党」結成!諭吉は散歩愛好者

▼「散歩」を掘り下げた本。勝海舟が江戸城無血開城を実現させたのも「散歩」のおかげだった?など、散歩にまつわる興味深い話がたくさん。

福沢諭吉とともに、アメリカ行きの「咸臨丸(かいりんまる)」(1860年・万延元年)に艦長として乗り込んでいた勝海舟は日本人で初めて散歩を楽しんだ人物ともされますが、後に勝海舟と不仲になったとされる福沢諭吉もまた、散歩を楽しんだ人でした。

諭吉は晩年になると「散歩党」なる集団を結成。慶應義塾の塾生たち六〜七人を従え、夏は四時半から、冬は五時半から散歩を楽しんでいたそうです。散歩のコースは慶應義塾のお膝元・三田から三光町(現在の港区白金あたりか)にかけての4キロほど。

「あさが来た」では三田ではなく新橋での散歩シーンではありましたが、恐らくこうした福沢諭吉の「散歩好き」のイメージから着想を得たシーンだと思われます。

散歩=運動だった?

なお「散歩をもっと楽しくする本」によれば、明治10年頃の「散歩」という言葉は「walking for exercise」=「運動のための歩行」という意味合いを持ち、現在でいう「運動」という言葉に近い形で使用されていたのでは、とのこと。

「あさが来た」においても、武田鉄矢演じる福沢諭吉が「歩行は心身の鍛錬に最適です」とあさに対して語っており、「walking for exercise」という当時の「散歩」のスタイルを表現したシーンが、「諭吉の小走り散歩」だったのではないかと思われます。

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