NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」第3週(10月17日〜)で、坂東五十八(生瀬勝久)の右腕として活躍していた野上正蔵(名倉潤)が亡くなります。
この記事では、野上正蔵という人物について、それに、モデル人物である尾上設蔵の辿った足跡、亡くなった時期などをまとめます。
五十八の名参謀
坂東五十八とともに「坂東営業部」の礎を築き、五十八が貴族院議員になってからは同社の実質的な経営者となっていた野上正蔵。息子・潔(高良健吾)も坂東営業部に入社し、五十八の娘・ゆり(蓮佛美沙子)を野上家の嫁に迎え入れるなど、坂東家と野上家との結びつきは非常に強固なものになっています。
五十八に多大な恩義を感じ、生涯坂東家に仕えていこうと考えていた正蔵でしたが、その生涯はあっけなく閉じてしまいます。
正蔵の死 潔が父の志を受け継ぐ
坂東営業部が国策により統合、消滅を余儀なくされると、正蔵は大阪で残務の処理にあたっていました。
戦争末期、大阪が大規模な空襲に遭うと、坂東営業部の社屋はすべて焼けてしまいます。戦後、疎開先の近江から大阪へと社屋の様子を見に行ったゆりは、正蔵が亡くなったことをそこで知ることになります。
(※1945年3月から終戦前日の8月14日まで、大阪は度重なる大空襲に見舞われています。一般市民一万人以上が空襲により亡くなったとされます。)
正蔵の無念は、息子の潔が晴らしていくことになります。
潔は復員後、消滅してしまった坂東営業部を再建させるために奮闘を重ねます。潔は、「坂東営業部を継ぐ」と心に誓っていた妻・ゆりとともに、父たちが築き上げた会社をもう一度取り戻そうとするのです。
モデルは尾上設蔵 54歳で亡くなる
野上正蔵は、実在の尾上設蔵という人物がモデルとなっています。設蔵は「佐々木営業部(現在のレナウン)」に入社すると早くから創業者・佐々木八十八に右腕として見出され、同社の番頭として活躍しています。
その後、八十八が政界へと進出すると設蔵は佐々木営業部の実質的な経営者となり、佐々木営業部の躍進に多大な貢献をしています。同社は海外進出も果たし、設蔵も忙しく各地を飛び回る日々を送っていましたが、1940年(昭和15年)に54歳の若さで亡くなっています。
息子・尾上清が会社を再建
設蔵の死後、1944年(昭和19年)に佐々木営業部は「江商」と合併。事実上、佐々木営業部は消滅します。しかし戦後、正蔵の息子である尾上清(野上潔モデル人物)により佐々木営業部は再建され、今日の「レナウン」を築き上げています。
ドラマの正蔵は戦争末期に亡くなる設定であり、昭和15年の時点で亡くなっていた史実の設蔵の人生とは少し異なります。しかし、息子が遺志を継いで会社を再建していくというストーリーはおおむね踏襲していくようです。