NHK連続テレビ小説「花子とアン」第14週に、村岡英治(鈴木亮平)の結核を患った妻・香澄(中村ゆり)が登場します。
この香澄には実在のモデルがおりますので、人物像などをまとめておきます。
妻・香澄は前妻・江川幸がモデル
村岡香澄は、村岡儆三(英治のモデル)の前妻・幸がモデルとなっています。
幸は大正4年(1915年)、村岡儆三と結婚しています(この時、儆三は28~29歳)。ともに指路教会の信徒であり、父・平吉と仕事上でも繋がりがあった江川氏の娘でした。
長男を授かるも結核を患い別居へ 儆三は一人暮らし
結婚翌年、長男の嘉男を授かりますが、間もなく幸が結核を発病。幸は療養のために実家に帰り、別居を余儀なくされます。
当時儆三は新しく立ち上げた福音印刷・銀座店の運営に忙しい身でした。そのため、家族三人で暮らした家を引き払い、幼い嘉男を村岡家・長兄の十太に預けています。儆三は神田で一人暮らしを始めたそうです。
幸との離婚をすぐには受け入れなかった儆三
幸が実家に帰って三年。別居生活が長引くと、幸の父・江川氏から「娘があんな体になるとは、大事なご子息に大変ご迷惑をおかけした」との言葉が聞かれるようになります。
当時、妻が結核などの重病や不妊となった場合は夫の方から「三行半(みくだりはん)」を言い渡すケースも多かったと言います。現在とは違い、結婚生活の主導権、決定権は全面的に男性側にありました。
江川氏の言葉を受け、父・平吉は「どうする?十太は嘉男を養子に入れてもいいと言っている。お前に新しい縁談も次々と来ているが…」と暗に幸と離縁し、新しい妻を迎えるよう促しますが、儆三は「今は、まだそういう気分にはなれませんね」と首を縦に振りませんでした。
幼い頃からキリスト教に親しんできた儆三としては、病を理由にして妻を見捨てるような真似は出来ないとの思いもあったようです。
花子と出会い、幸と離婚 息子は養子に出すも震災で亡くなる
やがて儆三が花子と出会い二人が激しい恋に落ちると、儆三は花子に対して「籍の問題は解決させる」と手紙で書いています。儆三は幸と離縁して、花子と結婚する決意を固める事になるのです。
なお、長兄・十太のもとに預けられていた長男・嘉男は儆三と花子の結婚後、十太の養子となります。しかし、十太の体調が思わしくない事もあり、儆三の末妹・雪子(水上政五郎という牧師の養女に入っていた)に預けられます。
そして大正12年(1923年)9月1日。突然発生した関東大震災により、雪子と嘉男が居た水上家は壊滅。水上家の家族も全滅で、雪子と嘉男も亡くなってしまいます。
のちに儆三は嘉男の死に対する自責の念に駆られます。
▼「アンのゆりかご」では、村岡花子の周辺人物を丁寧に描写しています。ドラマの補足として読んでおくと、物語をより楽しめます。
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