NHK連続テレビ小説「花子とアン」で主人公の安東はな(山田望叶、吉高由里子)は、しきりに「はなではなく花子と呼んで(くりょう)!」と訴えます。
この記事では、何故はなが「花子」と呼ばれたいのか、その理由をまとめてみました。
理由1 生まれ変わったと思って自分の好きな名前を付け直した
瀕死の高熱、生まれ変わったはな
幼少期、はな(山田望叶)は池に落ちて大変な高熱を出し、生死の境を彷徨います。結局はなは一命を取り留め回復をするのですが、その時はなは、本当に自分は死ぬのだと感じ「辞世の句」を残しています。
そして、辞世の句とともに感じたのが、「命を大事に」する気持ちであり、生まれ変わって好きな名前で生きるということ。父・吉平(伊原剛志)に対してこの時の気持ちを以下のように説明しています。
「おら、あん時ホントに死ぬ覚悟しただよ。いっぺん死んで生まれ変わったも同じだ。おら、うまれかわったこの命をでーじ(大事)にするだよ。ほんだからやっぱし、自分の好きな名前を自分で付け直すことにしただよ。みんな、おらのことは花子 と呼んでくれろ!」
名前が変われば、見える景色も変わる
そして、「なんで花子がそんなにいいかさっぱりわからん」と首を傾げる爺や(石橋蓮司)に対しては、
「そりゃあさあ、花子って呼ばれた方が自分のこと有り難く思えるじゃんけ」
「そのほうがずっと気持ちいいだよ。(中略)人も物も名前がでーじ(大事)だ。名前が変われば、見える景色も変わるだよ。自分が花子だと思うと、ほーら風のニオイまでちがうじゃん!」
理由2 「腹心の友」葉山蓮子との約束
修和女学校時代の腹心の友(=生涯の友)・葉山蓮子(仲間由紀恵)は「花子と呼ばれたい」と繰り返し言うはなに対し、「世に作品を出す時にその名前を使えばいいじゃないの 」と薦めます。
5月24日(土)の放送回で、はなは「花子という名前にどうしてそこまでこだわってたんですか ?」と尋ねる村岡英治(鈴木亮平)に対し、こう説明しています。
「女学校の頃 腹心の友ができて その人と約束したんです 自分の作品を発表するときは花子というペンネームを使うって」
「だから、この授賞(”みみずの女王”で児童の友賞を授賞)を知った時から舞い上がってしまって…自分が本当に夢の中の花子になれた気がして。そう、花子は私の夢なんです」
はなにとって「安東花子」の名前を使う事は、腹心の友であり現在は離ればなれになってしまった葉山蓮子との約束を果たす事でもあるのです。
理由3 「赤毛のアン」のエピソードから「Anne」の「E」
「コーデリア」「Anne」自分の名前を変えたがったアン
村岡花子が翻訳した「赤毛のアン」には、こんなエピソードがあります。
アンが初めてマリラに出会った時、アンは自分のことを「完璧に優雅な名前」である「コーデリアって呼んでくれます?」と頼みます。これをマリアに叱られて却下されると、どうしても「アン」と呼ぶならば、せめて「e」を付けた「Anne」で呼んで欲しいと頼みます。
アンはannというスペルを「恐ろしく見える」、anneは「高貴に見える」と言っています。
「赤毛のアン」からの小ネタが散りばめられている
「花子とアン」では「赤毛のアン」を連想させるエピソードが散りばめられており(石板で朝市を叩く、教会の名前が「阿母里」=「アボンリー」など)、はなが「花子」の「子」にこだわるのは、アンが「e」にこだわったエピソードと掛けていると思われます。
余談:村岡花子の本名は「安東」ではなく「安中」はな
劇中のはなは「安東はな」ですが、実在した村岡花子の本名は「安中はな」です。村岡花子は結婚前はペンネームで「安中花子」を使用しており、後に村岡儆三と結婚して「村岡花子」を名乗ります。「安東」という劇中の名字は「東のアン」という意味合いで付けられたそうです。
なお、父・吉平は「逸平」、母・ふじは「てつ」、が実在した人物の本名です。