はなが就職する「聡文堂」は「日本基督教興文協会(教文館)」が、村岡印刷は「福音印刷」がモデル

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修和女学校を卒業後、山梨へと帰っていた安東はな(吉高由里子)でしたが、「向学館」の梶原編集長(藤本隆宏)の強い薦めもあり、再び東京で暮らし始めます。はなは梶原が新たに立ち上げた出版社「聡文堂」で翻訳家・作家としての第一歩を踏み出すことになります。

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はなが働いた「教文館」のビルは現存

はなが働くことになる出版社「聡文堂」、そして聡文堂に出入りする御曹司・村岡英治(鈴木亮平)の「村岡印刷」。いずれもモデルとなった会社があります。

はなのモデルとなった人物である「村岡花子」が働いていた出版社が、東京・築地のキリスト教系出版社「日本基督教興文協会」です。村岡花子は女学校卒業後、故郷・甲府で教職に就きますが、26歳の時に東京に戻り、編集者としての道を歩み始めます。

基督教興文協会で村岡花子はミッションスクールの教材、子供たちの読み物などの翻訳を次々に手がけ、女学校時代に身につけた英語力が大いに発揮されます。

この「日本基督教興文協会」は関東大震災後に「教文館」(東京・銀座に現存)と合併し、現在に至ります。現存する銀座の教文館ビルの三階で、花子は4年ほど働いたそうです。

▼この「フランダースの犬」も村岡花子の翻訳によるもの。

村岡印刷は「福音印刷」がモデル

続いて。劇中の村岡英治の会社「村岡印刷」のモデルは、横浜にあった「福音印刷」です。

花子は基督教興文協会時代に、「福音印刷」の御曹司・村岡儆三(むらおかけいぞう)と出会います。「福音印刷」は横浜の地でキリスト教系関係の書物の印刷、製本を一手に手がける会社。福音印刷の「赤レンガ」の建物は、横浜・山下町ではひと際目立つ大きなものでした。

しかし、1923年(大正12年)に関東大震災が発生。福音印刷の建物は倒壊し、70人に及ぶ職人が焼け死んでしまいます。当時、儆三は経営を父から受け継いでいましたが、父の代から居た役員が印鑑と書類を持ち逃げするなどし、儆三は文字通り全てを失うことになります。

当時村岡花子は26歳、村岡儆三は32歳前後

なお、「花子とアン」では安東はなは在学中に「向学館」でアルバイトをし、そこで村岡英治と出会うというストーリーになっていましたが、実在の村岡花子は時系列的には、甲府で教職に従事したあと再上京し、そこで村岡儆三と出会っているようです。

当時村岡花子は26歳、村岡儆三は32歳前後。22歳位までには多くの女性が結婚していた時代において花子は「行き遅れ」と言われる年齢でした。懸命に仕事に打ち込む花子は、既に妻子ある儆三と出会い、熱い恋に落ちていきます。

▼教文館は出版部門だけでなく、キリスト教系書店としても貴重な存在。銀座の真ん中にあります。
http://www.kyobunkwan.co.jp/

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