【花子とアン】村岡花子・儆三ゆかりの地・観光まとめ【大森・横浜・銀座】

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この記事では、NHK連続テレビ小説「花子とアン」のヒロイン夫婦である安東はな(吉高由里子)や村岡英治(鈴木亮平)のモデルとなっている村岡花子、儆三夫婦の「ゆかりの地」をまとめています。

当時のままの場所もあれば、跡形も無く消えてしまった場所もあります。

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目次

◎東洋英和女学校

(現:東京都港区六本木5丁目14番40号)


▲ヴォーリズが設計した建築を復刻した東洋英和の校舎。現在でも麻布鳥居坂のシンボル。
Photo by IZUMI SAKAI(Wikipediaより転載)

村岡花子が10歳から通ったキリスト教系(メスジスト系)の女学校。「花子とアン」では「修和女学校」として登場しました。現在は「東洋英和女学院中学部・高等部」となりましたが、花子が通った当時と同じ東京・麻布の鳥居坂にあります。

ブラックバーン校長のモデルとなった人物・ブラックモア校長もこの場所で、廊下を走り回る花子に「Go to bed !!」と叫んでいました。

▼詳しくは以下の記事で…
「花子とアン」村岡花子の母校・東洋英和女学院(港区六本木)はお嬢様学校

◎山梨英和女学校

(現:山梨県甲府市愛宕町112番地)

現在の山梨英和中学校・高等学校。

ドラマでは、はなは卒業後に地元の阿母尋常小学校に代用教員として赴任していました。

実在の村岡花子は、東洋英和の姉妹校である甲府の山梨英和女学校に英語教師として赴任しています。この時、花子は20歳。花子は5歳の時に家族とともに東京・品川に上京していましたので(ここもドラマとは違う)、生まれ故郷・甲府の記憶は微かなものだったようです。

山梨英和の教師時代に、花子は初めての本「爐邉(ろへん)」を出版しています。当時身を寄せていた寄宿舎の一室で花子はコツコツと翻訳と執筆を続けたようです。

◎教文館ビル

(現:東京都中央区銀座4丁目5番地)

花子は山梨英和での教師生活を経て26歳で編集者として再上京し、築地明石町の基督教興文協会で働き始めます。この基督教興文協会は関東大震災を経て、銀座の教文館と合併します。

教文館は現在も東京・銀座に現存するキリスト教系出版社で、現存する社屋(ビル)は築80年以上。このビルの3階にあった編集部で、花子も4年ほど働いていました。

なお、昭和12年にこのビルのテナントとして宮﨑龍介(白蓮事件のお相手・「花子とアン」宮本龍一のモデル)が法律事務所を構えており、龍介と結婚していた柳原白蓮がこのビルに出入りしていた可能性もあります。

▼教文館関連記事
はなが就職する「聡文堂」は「日本基督教興文協会(教文館)」が、村岡印刷は「福音印刷」がモデル

◎赤坂新町・婦人矯風会館

(現:東京都港区赤坂付近)

ドラマには登場しませんが、再上京した花子が下宿していたのが、赤坂新町(現:港区赤坂)にあった「婦人矯風会館」。花子はここから築地明石町(現:中央区明石町)の基督教興文協会まで路面電車で通っていました。

「婦人矯風会」は公娼制度の廃止や婦人参政権の獲得運動など、男性が社会を牛耳っていた当時の社会に、女性たちが風穴を開けようとした団体です。

この婦人矯風会館の集会室で矢島楫子(かじこ)、守屋東、久布白落実(くぶしろおちみ)、ガントレット恒子といった矯風会メンバーを中心に、集会が盛んに行なわれていました。

婦人矯風会は現在、「公益財団法人日本キリスト教婦人矯風会」として東京都新宿区百人町に本部を置いています。現在は従軍慰安婦や靖国神社問題、ジェンダーフリー、外国人住民基本法案制定運動などの活動をしているようです。

◎山下町・福音印刷

(現:横浜市中区山下町)

村岡印刷のモデルとなったのが、キリスト教系の出版印刷物を一手に引き受けていた「福音印刷合資会社」です。横浜の旧外国人居留地・山下町の洋風建築が立ち並ぶ一角に、ひと際目立つ3階建ての赤レンガ社屋がありました。

当時、福音印刷の創業者・村岡平吉は「バイブルの村岡さん」と呼ばれ、横浜では著名な事業家でした。福音印刷は事業を拡大し、銀座(教文館の裏のビルを買い受けた)、神戸にも進出しており、会社の前途は洋々でした。

しかし、関東大震災により横浜の工場は倒壊。職工70名余りと儆三の弟・斎が亡くなるなど会社は大ダメージを受けてしまいます。結局、儆三は福音印刷を再興させることが出来ずじまい。現在の山下町界隈に、福音印刷の名残は見られません。

◎カトリック築地教会

(現:東京都中央区明石町5-26)

大正8年(1919年)、村岡儆三と花子は出会って半年で、熱烈な恋の末にゴールインしています。二人の結婚式が行われたのが、中央区明石町にある「カトリック築地教会」。

「カトリック築地教会」は明治7年(1874年)に創設された歴史ある教会で、現在も東京都中央区明石町5-26に存在します。大正12年(1923年)に関東大震災で焼失しますが、大正15年(1926年)には新聖堂が建設されました。聖堂は「東京都選定歴史的建造物」などに指定されています。

◎村岡儆三・花子の住んだ家=赤毛のアン記念館

(現:東京都大田区中央3丁目)

村岡儆三・花子夫婦は結婚すると、新居を東京・大森の新井宿(現:大田区中央)に構えます。結局、儆三と花子は亡くなるまでこの大森の地で人生を過ごすことになります。

1991年より、かつて花子が書斎としていた一室を親族が「赤毛のアン記念館・村岡花子文庫」としオープンハウス(一般公開の見学会)という形で公開。1995年に家を建て替えてからは、鉄筋造りの建物の中にかつての書斎をそのまま再現する形で、資料などを展示しています。

残念ながら2014年現在、各地で「花子とアン」関連の展示が続くこともあり、「赤毛のアン記念館」は休館中。来場者との信頼関係を元に「語らいの場」として、細々と自宅を公開しているようで、ドラマのほとぼりが冷めるまでは休館のままかも知れません。

▼「花子とアン」ロケ地、ゆかりの地をまとめています
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【花子とアン】伊藤伝右衛門・白蓮ゆかりの地・観光まとめ【福岡・飯塚・別府】

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