2014年5月23日放送のNHK連続テレビ小説「花子とアン」より。
安東はな(吉高由里子)が投稿した童話「みみずの女王」が雑誌「児童の友」で入選したことを知り、葉山蓮子(仲間由紀恵)が福岡の地で喜ぶ場面がありましたが、この場面で蓮子の夫・嘉納伝助が文字を読めないことが判明しています。
はなの授賞を喜ぶ蓮子 しかし伝助は文字が読めず
喜ぶ蓮子を見て、夫の石炭王・嘉納伝助(吉田鋼太郎)は「あんたは本ば読んでるときがいちばんご機嫌がいいっちゃね」と語りかけます。
蓮子は嬉しそうに「女学校の友だちが賞を取ったんですの。それが大層面白いお話で…」と伝助に雑誌を渡しますが、伝助はバツが悪そうに「おれは…本ば好かん」と言って返します。
どうやら「無学である事をバネに裸一貫のしあがってきた男(語り・美輪明宏談)」伝助は、本が嫌いなのではなく、字が読めないようです。
明治から大正時代の識字率
現在でこそ日本の「識字率」(=文字を読み書きし、理解出来る人の率)は男性99.9%、女性99.7%となっていますが、明治末期から大正の時代には、まだまだ文字を読み書きできない人が多く存在しました。
「花子とアン」でも明治期の山梨の農村で生まれ育ったはなの母・ふじが文字を読めず、近所の朝市(窪田正孝)に文字を教わる場面が再三描かれています。
江戸末期生まれの伊藤伝右衛門も教育を受けられず
さて。嘉納伝助のモデルとなっている九州の炭坑王・伊藤伝右衛門もまた貧しい育ちで幼い頃から手伝いに明け暮れ、寺子屋に通う事すら出来なかったそうです。
伝右衛門は江戸時代の末期、1861年(万延元年)の生まれで、明治元年(1868年)近辺が現在でいう小学校教育を受ける時期。この頃はまだまだ教育の整備が進んでおらず、明治初期から20年代半ばまでの識字率は最大で男子で50〜60%、女子で30%前後であったと推測されています(文部省調査)。
また、当時は識字率の地域格差が大きく(識字率例:1877年・滋賀県男子89.23%に対し、1884年・鹿児島県男子33.43%)、教育機会の均等が約束されていませんでした。
明治中期から教育環境が急速に整備される
その後、明治33年に尋常小学校の授業料撤廃など教育環境が整い、男女ともに就学率が飛躍的に上昇していきます(就学率:明治20年男子60%、女子28%→明治33年男子90.6%、女子71.7%)。村岡花子が小学校教育を受ける明治30年代半ばには男女とも教育環境は大きく改善されており、当時の世代間格差が想像されます。
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