【ひよっこ】トキワ荘とあかね荘 時代の違い 昭和41年当時の藤子不二雄はすでに売れっ子

※本ページのリンクには広告が含まれています。

NHK連続テレビ小説「ひよっこ」に、「トキワ荘」を拠点にした国民的漫画家・藤子不二雄に憧れる青年たちが登場します。

この記事では「ひよっこ」劇中に登場する「あかね荘」と実在した「トキワ荘」の時代の違いや、藤子不二雄がトキワ荘を拠点とし、そこから飛び出して活躍した時期の年表などをまとめます。

スポンサーリンク

目次

昭和41年。みね子、売れない漫画家と出会う

時代は昭和41年(1966年)。みね子(有村架純)は新しい住まいとなる安アパート「あかね荘」で、富山県出身の漫画家の卵・新田啓輔(岡山天音)、坪内祐二(浅香航大)に出会います。二人は互いの名前から一文字ずつとった「つぼ田つぼ助」というペンネームで漫画の執筆をしています。

啓輔と祐二は同郷の英雄・藤子不二雄(※)に憧れて上京し、同室で暮らしながら漫画家として大成することを夢見ていますが、上京から5年を経ても一向に芽が出ません。
(※)藤子・F・不二雄は富山県高岡市、藤子不二雄Aは富山県氷見市出身。

この時期の藤子不二雄・年表

啓輔と祐二が憧れた藤子不二雄は、昭和41年当時、すでに超売れっ子の漫画家でした。以下、昭和30年代~40年代にかけての、藤子不二雄の足跡、年表を簡単にまとめてみます。

▼昭和29年(1954年)
…富山県から上京。同年、東京・椎名町にある著名漫画家が集まるアパート「トキワ荘」に入居。二人が入った「14号室」の前住人は手塚治虫だった。

▼昭和30年(1955年)
…仕事を引き受け過ぎ、連載の締め切りのほとんどを落としてしまう。一年間雑誌社から干され、不遇な時期を過ごす。

▼昭和34年(1959年)
…「週刊少年サンデー」で初の週刊誌連載漫画となる「海の王子」をスタートさせる(~1964年)。

▼昭和36年(1961年)
…トキワ荘を出る。

▼昭和39年(1964年)
…国民的大ヒット漫画「オバケのQ太郎」「忍者ハットリくん」の連載を開始。

▼昭和41年(1966年)
…「パーマン(旧作)」連載開始。

▼昭和44年(1969年)
…「ドラえもん」連載開始。

昭和41年当時、すでに藤子不二雄は大作家

こうして見ると、「ひよっこ」の啓輔、祐二が上京したとされる昭和36年頃、藤子不二雄はすでに漫画家としては一流の存在。

みね子が啓輔らと出会った昭和41年の時点では「オバケのQ太郎」「忍者ハットリくん」などを大ヒットさせており、すでに国民的漫画家としての地位を確立していたといっていいでしょう。

トキワ荘とあかね荘 時間差、距離感

トキワ荘は昭和27年(1952年)に建てられ、昭和57年(1982年)に取り壊されています。

著名漫画家が多数居住していたトキワ荘の「黄金時代」は大体昭和28年(1953年)から昭和36年(1961年)頃までであり、「ひよっこ」の時代設定である昭和41年〜42年にはそのピークは過ぎていたことになります。

ちなみに、啓輔らが住む赤坂のあかね荘は山手線の内側、都心部にありますが、トキワ荘があった椎名町(現在の豊島区南長崎)はそこから7kmほど離れた山手線の外側(池袋から西武池袋線で一駅)の場所にあります。

▼トキワ荘の取り壊し後、何ということはないアパートが建っていた跡地(バブル期に更地になり、現在は「日本加除出版」の新館社屋に)。近年、いわゆる「まちづくり」的な意味もあり、トキワ荘跡地が再び脚光を浴び、トキワ荘を中心とした観光資源の発掘、再整備が行なわれています。

→公益財団法人としま未来文化財団によるトキワ荘周辺散策マップ。

漫画家たちが通った中華料理屋(松葉)や、部屋が手狭になった赤塚不二夫が近くに借りたアパートが現存するなど、椎名町周辺には昭和の残り香が漂います。

スポンサーリンク

スポンサーリンク

シェアお願いします
URLをコピーする
URLをコピーしました!
目次
閉じる