2014年のNHK連続テレビ小説「マッサン」の舞台となり、注目を集める北海道・余市町。
長野や青森ほどは知られていませんが、余市はリンゴの名産地として知られます。余市は明治初期に、日本で初めて民間の農家がリンゴ栽培を成功させた地なのです。
旧会津藩士が入植した余市
余市のリンゴの歴史は、この地に入植した旧会津藩士の苦難の歴史とともにあります。
戊辰戦争(1868~69)に敗れ逆賊の扱いを受けた会津藩士たちは、江戸での謹慎を経て余市に入植し、開拓を始めます。
この当時、開拓使(北方開拓のために置かれた官庁)は新天地の産業振興のために西洋リンゴ、西洋ナシ、ブドウなどの果樹の苗木を輸入し、各地に無償配布しています。
余市にもこれらの苗は配布されました。そのうちリンゴの苗はこの地で結実し、その果実は徐々に外部へ出荷されるようになっていきます。
全国ブランドになった余市のリンゴ
1880年には余市のリンゴが札幌・農業仮博覧会に出品され好評を博し、やがて小樽方面で高値で取引されるようになります。さらに、1896年には大阪全国大博覧会で上位入賞し、余市のリンゴは全国に名を馳せるまでになります。日露戦争当時には余市のリンゴはロシアに輸出され、外貨獲得に貢献しています。
現在でも受け継がれている品種ブランド「緋衣」は、会津藩主・松平容保が孝明天皇から下賜された「緋の御衣」がその名の由来であり、余市のリンゴの歴史を物語っています。
大日本果汁のリンゴジュース
「マッサン」こと亀山政春のモデルとなった竹鶴政孝は、1934年(昭和9年)に余市で「ニッカウヰスキー」の前身となる会社「大日本果汁株式会社」を立ち上げました。(※ドラマで同社は「ドウカウヰスキー」「北海道果汁株式会社」として登場)
ウイスキーは、製造を開始してもすぐに製品が出来るわけではなく、出荷までに数年を要します。そのため「大日本果汁」はウイスキー事業が軌道に乗るまで、「リンゴジュース」を売って資金のやりくりをする事業計画を立てます。
余市のリンゴ100%のジュース しかしイマイチ売れず…
大日本果汁は地元農家が持ち込むリンゴを一つ残らず買い取り、傷物のリンゴも買い取ってくれるなど破格の買い取り条件で対応したため、大日本果汁の工場の前にはリンゴを積んだ馬車の行列ができたそうです。
しかし、この大日本果汁社製の「リンゴジュース」は、当時では珍しい100%果汁。そのため、「果汁入り清涼飲料」(混ぜ物あり)を売っていた他社に比べると数倍の値段がついてしまい、それほど売れなかったようです。
余市の「地の利」とともにスタートした「大日本果汁株式会社」は、やがて「余市の恵み」を存分に活かし、日本を代表するウイスキーメーカーに成長していくことになります。