【なつぞら】「ミルコスまんが広場」モデルは「カルピスまんが劇場」か

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NHK連続テレビ小説「なつぞら」9月9日放送回に登場した「ミルコスまんが広場」についてまとめます。

「ミルコスまんが広場」は「カルピスまんが劇場」がモチーフではないかと予想します。

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「ミルコスまんが広場」枠で放送される「ソラ」

なつと洋平も合流したマコプロダクションでは、いよいよ「大草原の少女ソラ」の製作が本格スタートします。

それまで関東プロダクションを通した仕事をしていたマコプロにとって、「大草原の少女ソラ」は初めての独自作品。放送時間は日曜夜のゴールデンタイム、スポンサー「ミルコス食品工業」社の一社提供により「ミルコスまんが広場」の番組枠で放送されることも決まります。

マコによれば、この「ミルコス」という会社の社長が北海道の開拓者の生まれだそうで、その縁でテレビ局を説得できたとのこと。マコプロのメンバーは作品の舞台となる北海道のロケハンと取材を敢行し、作品作りへと突入します。

追記:最終週にミルコス社長(大泉洋)が登場

※追記:最終週・9月25日(水)の放送では、「大草原の少女ソラ」の番組提供スポンサーであるミルコスの社長・松武博(大泉洋)が登場しています。松武博は北海道の開拓者だった祖父を持つ開拓者三世。ミルコス食品工業は、松武の父が開拓者精神を受け継いで創業させたとのこと。

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「ローラ」「ハイジ」がモデル?

こちらの記事に詳しくまとめましたが、この「大草原の少女ソラ」はいずれも日本アニメーション(旧ズイヨー映像)製作のテレビアニメ「草原の少女ローラ」(1975年・TBS系)ならびに「アルプスの少女ハイジ」(1974年・フジテレビ系)がモデルではないかと推測します。

基本的に「大草原の少女ソラ」は、「大草原の小さな家」をアニメ化したという意味で「草原の少女ローラ」がモデルと考えていいと思いますが、坂場、神地、洋平らのモデルとも噂される高畑勲、宮崎駿、小田部羊一各氏が強力タッグを組みスイスロケハンを行って製作された「アルプスの少女ハイジ」の要素も多分にモチーフとして取り入れられています。

カルピスまんが劇場

「アルプスの少女ハイジ」は1974年、「カルピス食品工業株式会社(現・カルピス株式会社)」の一社提供により「カルピスまんが劇場」(フジテレビ)として放送されています。

また、高畑、宮崎、小田部各氏に遅れて日本アニメーションに合流した奥山玲子氏(なつのモデル)も作画監督補佐として参加した「母をたずねて三千里」(1976年)も、同枠が名前を変えた「カルピスこども劇場」として放送されています。

「ミルコスまんが広場」と「カルピスまんが劇場」の語感の近さを考えると、このフジテレビの「カルピス」アニメ放送枠が「ミルコス」のモチーフではないかと予想します。

「カルピスまんが劇場」は、「カルピスこども劇場」「カルピスファミリー劇場」「世界名作劇場」「ハウス食品・世界名作劇場」と名前を変え、「フランダースの犬」(1975年)、「赤毛のアン」(1979年)、「小公女セーラ」(1985年)など子供が安心して楽しめる良質アニメを次々と放送し続けています。※最終的に2009年のBSフジ「世界名作劇場」の「こんにちは アン」で放送は終了。

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カルピス社長(当時)は奈良出身

ちなみに、ミルコスの社長が北海道の開拓者の出身だという劇中のセリフがありましたが、「カルピスまんが劇場」時代のカルピス食品工業社長・土倉冨士雄(どくら・ふじお)氏は奈良県の出身です。※カルピス創業者は大阪出身の僧侶・三島海雲氏(1878〜1974年)。

土倉冨士雄氏は日本の造林王で吉野林業の先駆者である土倉庄三郎氏を祖父に持ちます。冨士雄氏は「企業でも政治でもあるいは文化活動でも、すべて倫理に根ざした心の豊かさということに立脚していなければならない」という基本理念を持ち、カルピスの企業イメージ構築、企業の成長に大きな貢献をした社長として知られます。

一連の「カルピス劇場」放送の基本理念は、「家族が一緒に見るものでなくてはならない」というもの。とっつきやすいアクションアニメではなく、世界の名作を基軸とした良質な作品群を放送し続けたのも、こうした考えがもとになっています。

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