「おちょやん」漫才師・花車当郎(塚地武雅) モデルは花菱アチャコ

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NHK連続テレビ小説「おちょやん」に登場する漫才師・花車当郎(はなぐるま・あたろう)の人物像と、モデルになっていると思われる人物「花菱アチャコ」についてまとめます。

大きな挫折を味わい世間から姿を消してしまう千代ですが、花車当郎との出会いにより再び表舞台に復帰。新しい人生が動き始めます。

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しゃべくり漫才師・花車当郎

戦後、とある理由により「鶴亀新喜劇」を退団し、芝居の世界から姿を消してしまう千代。そんな千代の人生を大きく変えていくのが、戦前にしゃべくり漫才で一世を風靡した漫才師・花車当郎です。

花車当郎は戦時中に避難した防空壕で偶然千代と出会うと、そこで即興の掛け合い漫才を展開し意気投合。

戦後になると、当郎の強い共演希望により一時世間から姿を消していた千代がラジオドラマ「お父さんはお人好し」で復活。このラジオドラマでの二人の丁々発止のやり取りが茶の間で大人気となり、千代は「大阪のお母さん」女優として、新しい人生を歩み始めることになります。

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▷花車当郎を演じるのは、大阪府泉南郡出身の49歳のお笑い芸人、俳優の塚地武雅(つかじ・むが)。お笑い「コンビドランクドラゴン」のボケ担当。俳優としても名が知られ、W主演となった映画「間宮兄弟」ではキネマ旬報、ブルーリボン賞、毎日映画コンクールの映画賞新人賞を三冠受賞。「まれ」「平清盛」「西郷どん」などにも出演。

モデルはしゃべくり漫才の祖・花菱アチャコ

「おちょやん」の花車当郎は、戦前に横山エンタツとともに「エンタツ・アチャコ」を組み、こんにちのしゃべくり漫才の基礎を作り上げた漫才師・花菱アチャコがモデルになっていると考えられます。花菱アチャコは、吉本興業創業者・吉本せいをモデルとした朝ドラ「わろてんか」ではアサリ(前野朋哉)というキャラクターで登場していましたね。

横山エンタツと花菱アチャコによるコンビ「エンタツ・アチャコ」(昭和5年結成)は、それまでの歌って踊ってという古いタイプの「万歳」に代わり、とにかく喋りだけで笑わせるというスマートで斬新な「しゃべくり漫才」を発明。「エンタツ・アチャコ」はしゃべくり漫才の祖として、伝説のコンビになっていきます。

アチャコとのラジオドラマで復活 浪花千栄子

「おちょやん」千代のモデル人物である上方女優・浪花千栄子は昭和26年(1951年)、夫・渋谷天外の浮気により松竹新喜劇を退団すると、しばらく芸能の世界から姿を消して京都に潜伏をしています。

世間からも浪花千栄子の名が忘れ去られようとしていた頃。コンビを解散し舞台や映画などで活躍していた花菱アチャコは、NHK大阪で開始される新しいラジオドラマのパートナーとして、行方知れずの浪花千栄子を指名しています。

番組担当者が京都でひっそりと暮らしていた千栄子をようやく探し出し、NHKラジオ「アチャコ青春手帖」(昭和27年・1952年〜)での共演にこぎつけています(千栄子はアチャコの母親役)。しゃべくり漫才の元祖・花菱アチャコと喜劇の世界のアドリブ芸に鍛えられてきた千栄子の相性は抜群で、二人の掛け合いはまたたく間に人気となっていきます。

昭和29年には、11年間続くことになる人気ラジオドラマ「お父さんはお人好し」でアチャコと千栄子は再共演(こちらは夫婦役)。

「お父さんはお人好し」は関西だけでなく東京を含む全国に放送されるものでした。このドラマへの出演などを通して、古き良き大阪言葉を話す千栄子に対し「大阪のおかん」というイメージが定着。上方を代表する女優として名を馳せるキッカケになるのです。

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