「おちょやん」脚本家・長澤誠(生瀬勝久) モデルは放送作家・長沖一か

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NHK連続テレビ小説「おちょやん」で生瀬勝久が演じる脚本家・長澤誠(ながさわ・まこと)についてまとめます。

長澤誠は、ラジオドラマ「アチャコの青春手帖」「お父さんはお人好し」の台本を手掛けた放送作家・長沖一(ながおき・まこと)がモデルと考えられます。

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戦後にラジオドラマを書く長澤誠

大阪大空襲などにより、都心部が焼け野原となってしまった戦後の大阪。

脚本家の長澤誠は、戦乱の中で散り散りになり失われてしまった「家族の団らん」を取り戻すために、千代(杉咲花)と漫才師・花車当郎(塚地武雅)が出演するラジオドラマを書くことになります。

このラジオドラマは、鶴亀家庭劇を退団し世間から姿を消していた千代にとって復帰作となる作品。長澤が綴る古き良き大阪言葉のセリフの数々が、千代と当郎の声により命を吹き込まれ、戦争で傷ついた家族たちを再びつなげていきます。

▷生瀬勝久(なませ・かつひさ)は、兵庫県西宮市出身の俳優。「TRICK」「ごくせん」「龍馬伝」「リーガル・ハイ」はじめ、多数の人気ドラマに出演。NHK朝ドラは「純ちゃんの応援歌」「まんてん」「べっぴんさん」に出演。

モデルは長沖一「アチャコ青春手帖」「お父さんはお人好し」

この一連のエピソードは、千代のモデル・浪花千栄子花菱アチャコと共演して不死鳥のような復活を遂げたラジオドラマ「アチャコ青春手帖」「お父さんはお人好し」などがモデルになっています。生瀬勝久演じる長澤誠は、これらのラジオドラマを手掛けた放送作家、脚本家の長沖一がモデルと考えられます。

1951年(昭和26年)、夫・渋谷天外の裏切りを受けて松竹新喜劇を退団した千栄子は世間の好奇から身を隠し、京都での潜伏生活を送っていました。

この頃、しゃべくり漫才を生み出した伝説の漫才師・花菱アチャコのもとにNHKからラジオドラマへの出演依頼が届くと、アチャコは共演してみたかった浪花千栄子を共演パートナーとして指名。番組関係者が千栄子を捜索した末に、出演の承諾を得ています。

こうして生まれたラジオドラマ「アチャコ青春手帖」(1952年。千栄子はアチャコの母親役)。しゃべくり漫才の祖・花菱アチャコが繰り出すアドリブに対し、喜劇舞台で鍛えられた千栄子が機転を利かせて対応をする…。そんな二人の丁々発止のやり取りが関西で大人気になっていきます。

吉本出身の作家・長沖一 過去朝ドラにも

後に二人の再タッグにより長寿番組となっていく全国放送のラジオドラマ「お父さんはお人好し」(1954年〜1965年。アチャコと千栄子は夫婦役)を含め、ドラマの脚本を担当した放送作家、演出家の長沖一の存在も大きなものでした。

学生時代から作家活動を行い、東大を経て吉本興業部文藝部に所属した長沖一。吉本では漫才、軽演劇の台本を多数手がけ、慰問団「わらわし隊」を組織するなど、朝ドラ「わろてんか」の世界そのままのような活躍を見せていました。

吉本退社後に手掛けた「アチャコ青春手帖」「お父さんはお人好し」は彼にとっても代表作といえ、「お父さんはお人好し」は映画化もされています。

※長沖一をモデルとした人物が、漫才をテーマにした1984年の朝ドラ「心はいつもラムネ色」にも登場しています(役名は國分良輔)。

千栄子(長沖)の大阪弁が心をつかむ

長沖一は大阪の中心部・島之内の出身。長沖が書く「アチャコ青春手帖」「お父さんはお人好し」では古き良き大阪弁・島之内言葉がふんだんに使われ、それを千栄子が品よく柔らかく話すことで、大阪の人々の心を鷲掴みにしていきます。

空襲で大阪都心部のコミュニティが分断され、古き良き島之内言葉、船場言葉が失われつつあった当時の大阪。浪花千栄子が話すどこか優しい島之内言葉は、昔ながらの大阪の人々の心に届き、千栄子こそが「古き良き理想的な大阪弁を話す女優」だと認知され始めます。長沖の脚本が、後に千栄子が大阪を代表する「おかん女優」になっていくキッカケを作るのです。

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