「おちょやん」南河内・富田林 浪花千栄子ゆかりの地(生家、小学校、奉公先「越井家」、疎開先)

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NHK連続テレビ小説「おちょやん」でヒロインのモデルになっている女優・浪花千栄子。その故郷である大阪・南河内(現在の富田林市付近)におけるゆかりの地をまとめます。

「おちょやん」に登場する千代の生家のオープンセットは富田林のある神社の境内に建てられ、撮影が行われました。

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目次

①生家は旧大伴村・東板持地区

浪花千栄子(本名・南口キクノ)は、明治40年(1907年)に大阪府南河内郡大伴村の東板持という集落(現在の富田林市東板持町)で生まれています。

東板持地区は、近鉄長野線の富田林駅から南東に2キロほど離れた丘陵地。もともと幕府直轄の天領だったため裕福な人が多い地区でしたが、千栄子の生家・南口家は養鶏業を営む極めて貧しい家でした。千栄子はボロボロの服をまとい学校にも行けず、豊かな地区の中で異質の存在だったそうです。

ダメ父・卯太郎は大変な女好きだったため、子どもを置いたまま1ヶ月家に帰らないこともしばしば。千栄子は近くの池でヒシの実を集めて飢えをしのぐという壮絶な少女時代を送っています。

近くには母方の祖母が住んでおり、千栄子は父親不在の折にしばしば世話になったほか、父と継母から家を追い出された際には祖母の家に身を寄せています。

※「おちょやん」に登場する千代の生家のオープンセットは、富田林のとある神社の境内に建てられ、2020年4月頃に撮影が行われたそうです。

▼「浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優」(角川文庫)に掲載された写真によれば、千栄子の生家は佐備川を渡ってすぐのこの近辺(富田林市東板持町1丁目)だったようです。

②一時的に通った板持尋常小学校

家の手伝いに追われ学校に通えなかった千栄子ですが、父が再婚し継母(千栄子いわく「悪妻の見本のような人」)が出来ると、多少家に余裕が出来たのか、一時的に近所の「板持尋常小学校」に通い始めています(8歳頃)。

文字が読めなかった千栄子は、学友たちに馬鹿にされながらも必死に勉強に励みましたが、2ヶ月後に継母が失踪したことで束の間の学校生活も強制終了。幼い弟の世話、家事などに明け暮れる日々が再び始まり、それっきり学校へは行けなくなっています。

▼「浪花千栄子 昭和日本を笑顔にしたナニワのおかあちゃん大女優」(角川文庫)に掲載された「キクノが通った小学校跡地」の写真から推測すると、千栄子が通った小学校は東板持地区の小高い丘にある厳島神社境内付近にあったのではないかと思います。

③奉公先・富田林寺内町の越井家

9歳で生家を追い出され、母方の祖母の手引きで大阪・道頓堀の仕出し屋「浪花料理」に女中奉公に出された千栄子。

千栄子の奉公先はダメ父には内緒にされていましたが、17歳の時に居場所がバレてしまうと、さっそく父が金をせびりにやって来ます。

千栄子が長年無給で働いていると知り激怒した父は千栄子を富田林へと連れ帰り、自らが見つけてきた奉公先である富田林中心部・寺内町(じないまち)の豪商「越井家」へと住み込みで奉公に出しています。

給金はすべて父が前借りで持って行ってしまうなど、相変わらず父の搾取を受け続けた千栄子。しかし千栄子はこの越井家で、人生で初めてと言っていいほどの「いい人」に出会っています。

越井家の御寮さんは優しく気遣いのできる女性だったそうで、苦労続きだった奉公人・千栄子も越井家ではゆったりとした時を過ごしたそうです。御寮さんは千栄子に嫁入りのための教育を与え、縁談も用意しようとしていたそうです。そして、千栄子が父から搾取され続けていることを知った御寮さんは「逃走資金」を手渡し、暗に富田林からの逃亡を促してくれたのです。

※この時期、千栄子は同じく富田林の酒屋でも働いたとされます。同じく寺内町にある万里春酒造あたりでしょうか(こちらは情報未確認)。

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▼現在も古い町並み、豪商の邸宅が複数残る寺内町。「越井家」は材木商や林業などを営んでいた豪商で、現在も立派なお屋敷が残っています。

④疎開先は故郷の東板持

太平洋戦争末期、大阪市街への空襲が盛んになると、千栄子・天外夫妻は大阪を脱出し故郷・東板持へと疎開をしています。

この頃には千栄子と父との縁は切れていた(父は別の地へ行った?)ようで、夫婦は千栄子の生家ではなく、東板持地区の農家の納屋を借りて疎開生活を送ったそうです。この疎開生活は随分と賑やかだったようで、千栄子の世話のもと松竹家庭劇の若い団員たち(藤山寛美もいた?)も多数身を寄せ、狭い納屋でワイワイと舞台の稽古を行っていたとか。

一時的と思われた疎開生活でしたが、夫妻は戦後もしばらく東板持での暮らしを続けています。千栄子・天外夫妻が大阪に戻ったのは松竹新喜劇が旗揚げした1948年(昭和23年)になってからのことでした。

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