朝ドラ「スカーレット」ヒロインの生家・川原家は「金場家」がモデルか

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NHK連続テレビ小説「スカーレット」でヒロイン・喜美子が生まれ育つ「川原家」。

川原家の父、母、妹たち家族は、ヒロインのモデル人物とされる陶芸家・神山清子さんの生家「金場家」の人々がモデルになっていると考えられますので、まとめておきます。

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目次

大阪の川原家 信楽へ逃亡

まずはじめに、「スカーレット」劇中の「川原家(かわはらけ)」について簡単にまとめます。

川原家は、父・常治(北村一輝)、母・マツ(富田靖子)、長女・喜美子(戸田恵梨香)、次女・直子(桜庭ななみ)、三女・百合子(福田麻由子)の5人家族。

川原家はもともと大阪で暮らしていましたが、商売人である父が重ねた借金から逃れるために、一家で信楽へと逃げ延びています。喜美子が9歳の時のことでした。

父・常治は見栄っ張りであると同時に、困った人を見ると助けずにはいられないという世話焼きの男。優しく情が深い母・マツとともに両親は子どもたちを深く愛しており、三姉妹は貧しいながらも楽しい家庭で育っていきます。

モデルは神山清子さん生家・金場家

「スカーレット」の物語は、実在の陶芸家・神山清子さんの半生を参考にしながら、フィクションの物語が創作されていきます。劇中の川原家も、神山さんの生家「金場家(かなばけ)」がモチーフになっているようです。

神山清子さんは、長崎県佐世保の炭鉱で働く父・繁さんの長女として生まれています。兄弟は弟の繁美さん、3歳下の妹・静子さんがいたそうです。

分け隔てない父

炭鉱で働いていた父は、朝鮮半島から来ていた炭鉱労働者と仲が良く、よくかばったり助け合ったりしたそうです。

別け隔てなく人と接する父の姿は、後に陶芸家となった清子さんが招かれた韓国・大邸の窯場「天山里窯」で、現地韓国の人々と心を通わせるというエピソードにも繋がります。

一家で滋賀に逃げ延びる

戦争が激化していた昭和19年、清子さんが小学2年生の時のこと。炭鉱で働く朝鮮半島出身者の一人が労働の辛さに耐えかねて脱走を企てると、父はその脱走を手助けしたとして、警察から追われる身になってしまいます。

もはや佐世保に住むことができなくなってしまった金場家は、荷車に荷物を積み込んで逃走。一家で長い逃避行を続けた末に、滋賀県の山里・日野にたどり着いています。

信楽焼と出会う

思わぬことで滋賀の地に定住することになった金場家。戦争が終わると一家は甲賀郡雲井村(現在の信楽町)に移り住んでいます。

母は優しい女性で、リュックも足袋も服も何でも手作りでこしらえていたそうです。父は家の周りに桃や栗の木を植え、田んぼを借りてもち米や麦を作り、一家の暮らしを支えていました。両親の優しさに包まれた清子さんは、電気もない貧しい生活ながら幸福な少女時代を送っています。

幼い頃から柔道と絵描きが大好きだった清子さんは、父の考えもあり、無理やり和裁の学校に行かされています。しかし大好きな絵を諦めたくないという気持ちがあったそうで、信楽焼の絵付けの先生のもとに飛び込みで弟子入りし、陶芸家としての「最初の一歩」を踏み出しています。

父の影響でやきものの里・信楽に逃げるように移り住み、そこで信楽焼に出会う…。こうした金場家の家族設定は、そのままドラマにもトーレスされています。

以下、少しだけネタバレになりそうな内容を含みますのでご注意ください。

妹のどちらかがドナーに…?

史実では神山清子さんの長男・賢一さんが慢性骨髄性白血病にかかり、ドナー探しの末に清子さんの下の妹・静子さんが骨髄液を提供しています。

この静子さんは大阪の食堂で働く大変に元気な人だそうで、骨髄液採取に臨む際には「賢一のためならば何でもするよ!」と豪快に笑い、「おばさん、たくさん食べて栄養つけてきたからな」と冗談を交えて明るく賢一さんを励ましたそうです。

「スカーレット」劇中でも直子、百合子のどちらかの妹が骨髄移植のドナーとなり、ヒロインの息子に骨髄液を提供する展開があるのではないかと予想します。

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