「青天を衝け」伊藤兼子とは 演じる大島優子は大河ドラマ初出演

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NHK大河ドラマ「青天を衝け」で大島優子が演じることになる豪商の娘・伊藤兼子(いとう・かねこ)についてまとめます。

伊藤兼子は、渋沢栄一の後妻となる人物。最初の妻・千代がなぜ栄一と離別する事になったのかを含め、この記事にはネタバレも含みますのでご注意下さい。

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目次

豪商・伊藤八兵衛の娘 兼子

幕末の豪商で、水戸藩の金子御用達などを務めた伊藤八兵衛(いとう・はちべえ)。江戸でも屈指の大成功者として知られた伊藤八兵衛の娘・伊藤兼子が「青天を衝け」後半で登場し、渋沢栄一(吉沢亮)の人生に大きな影響を与えていきます。

江戸でも指折りの大富豪の家の五女として生まれた伊藤兼子。明治維新後に父が為替取引事業に失敗して没落すると、兼子は露頭に迷う妹たちを女手ひとつで養うため、芸者として身を立てる決意を固めます。

兼子は、門を叩いた置屋で三味線の師匠として出入りしていた平岡円四郎の妻・やす(木村佳乃)と出会うと、やすが縁となって栄一と出会うことになります。以下、史実の伊藤兼子の半生を簡単にまとめます。今後のネタバレを多く含みますのでご注意ください。

▷伊藤兼子を演じる女優・大島優子(おおしま・ゆうこ)。栃木県出身の33歳。子役として芸能界に入ると後にアイドルグループ「AKB48」(第2期)に加入。中心メンバーとして国民的人気を獲得した後に卒業し、本格的に女優として始動。NHK朝ドラ「あさが来た」「スカーレット」や映画「紙の月」などの演技が高い評価を獲得している。

渋沢栄一の後妻に 渋沢家をもり立てる

伊藤兼子は1852年(嘉永4〜5年)、江戸屈指の豪商で水戸藩の公金御用達も務めた「伊勢八」こと伊藤八兵衛の五女として生まれています。

兼子は18歳の時に近江出身の婿をとり一度は家を継ぎましたが、父・八兵衛が為替取引事業の大失敗などを起こして家が没落すると、夫と離縁。その後、渋沢栄一と縁を持つことになります。

一方の渋沢栄一は、従兄妹だった妻・千代との間に歌子、琴子、篤二という3人の子を授かりますが、1882年(明治15年)に流行していたコレラに千代が罹患してしまい死去。その翌年に、伊藤兼子を後妻として迎えています。

栄一と兼子との間には、以下の4人の子供が生まれています。

▷栄一次男・武之助…石川島飛行機製作所 第2代社長を務めた。妻は資生堂創業者の四女・美枝。

▷栄一三男・正雄…石川島飛行機製作所 初代社長、日本製鐵副社長などを務めた。

▷栄一三女・愛子…第一銀行頭取、龍門社理事長などを務めた実業家・明石照男に嫁ぐ。

▷栄一四男・秀雄…田園都市株式会社(現・東急)の取締役として東京・田園調布を開発。東京宝塚劇場会長、東宝取締役会長などを務めた。随筆、評論活動でも知られ、伝記「父 渋沢栄一」を著した。長男の渋沢一雄(=栄一の孫)はアコーディオン奏者、音楽家。三女の渋沢華子(=栄一の孫)は小説家。

※渋沢栄一の子孫などは以下の記事にもう少し詳しくまとめています。
「青天を衝け」渋沢栄一、渋沢家一族の家系図・相関図、兄弟・従兄弟関係、子孫まとめ

女性関係にだらしなく、多くの妾(大内くになど)を抱えた渋沢栄一でしたが、後妻の兼子とは91歳で栄一が亡くなるまで夫婦として過ごしています。※兼子は晩年、栄一の女性関係のだらしなさを皮肉を込めて家族に話していたそうですが…。

まだ若かった千代(40代前半)を突然亡くし、家もさぞバタバタしたことと思われますが、後添えとなった兼子がしっかりと渋沢の家の発展を担っていくことになります。

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