【エール】古関裕而が働いた「川俣銀行」は現在「東邦銀行川俣支店」に

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NHK連続テレビ小説「エール」に登場する「川俣銀行」についてまとめます。

この川俣銀行は実在した銀行で、実際に古関裕而が働いた職場でもありました。古関裕而の伯父・武藤茂平の情報などもあわせてまとめます。

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目次

【エール】裕一の最初の就職先「川俣銀行」

福島の商業学校を卒業した古山裕一(窪田正孝)は、母方の伯父・権藤茂兵衛(風間杜夫)が経営する「川俣銀行」で働き始めます。いずれ権藤家の養子となり川俣銀行を継がなければならないという「宿命」を背負って、裕一は母の故郷・川俣町での日々を送ることになるのです。

裕一はこの川俣銀行で支店長・落合吾郎(相島一之)や行員・鈴木廉平(松尾諭)、事務員・菊池昌子(堀内敬子)ら楽しい人々と出会うとともに、近くのダンスホールの美しい踊り子・志津(堀田真由)との初恋も経験。新しい世界が広がります。

川俣での日々は、大好きだった音楽から少し離れて仕事を黙々とこなす日々。そんな中で、裕一はひょんなキッカケから英国の作曲コンクールに自らの曲を応募し、最年少での上位入選という快挙を成し遂げることになります。

【史実】古関裕而最初の就職先「川俣銀行」と武藤家

▼川俣町の中心部にある「東邦銀行川俣支店」(福島県伊達郡川俣町字瓦町15)。かつて古関裕而が働いた「川俣銀行」がルーツ。

「エール」劇中に登場する「川俣銀行」は、裕一のモデル人物である作曲家・古関裕而が実際に働いた「川俣銀行」がモデルとなっています。

古関裕而は、昭和3年(1928年)に旧制福島商業高校を卒業すると、母方の伯父・武藤茂平(茂兵衛)が頭取を務めていた「川俣銀行」に就職。2年の間、川俣町で働いています。

川俣町にあった母の生家・武藤家は県内でも指折りの資産家でした。

武藤家は「ちりめん屋」の屋号で味噌や醤油の醸造業を営み、多額納税者として貴族院議員を務めたこともあったといか。古関裕而は母の生家に居候をして銀行に通勤しつつ(銀行は小さく、平日はのんびりしていたとか)、川俣の美しい自然に囲まれながら感受性を育み、作曲の勉強も続けていたそうです。

【史実】「川俣永続社」がルーツ 現在は「東邦銀行川俣支店」に

「川俣銀行」は、明治27年(1894年)に川俣町で地元の有志家たちが発足させた銀行に類似した組織「川俣永続社(かわまたえいぞくしゃ)」がルーツ。その後、大正3年(1915年)に「川俣銀行」に改称されると、昭和14年(1939年)には「郡山商業銀行」により買収されています。

その後、1927年の金融恐慌を経て金融機関の破綻が相次ぐと、国が示した「1県1行主義」にのっとり、福島県内の各銀行も統合、集約を図っていくことになります。「川俣銀行」を吸収した「郡山商業銀行」も国の勧めにより「会津銀行」「白河瀬谷銀行」と対等合併に至り、こんにちまで続く福島県のトップ地銀「東邦銀行」が誕生しています。

古関裕而が働いた川俣銀行は、現在は「東邦銀行川俣支店」としてその歴史をつないでいます。

【史実】川俣の有力資産家だった伯父・武藤茂平

劇中に登場する裕一の伯父・権藤茂兵衛は、川俣町で有力な資産家だった古関裕而の伯父・武藤茂平(茂兵衛)がモデルになっています。

明治44年の「有限責任川俣購買生産信用組合」の大口出資者の一覧には、武藤茂平の名前が記録されています。

それによれば、茂平の主な職業は「地主、醸造業、商人」。主な肩書は「町会議員、電気会社、委託商会取締役」とあります。また、明治44年の「後期県税戸数割等級」は「特1」という特別な等級であり、いかに川俣で有力な人物であったかがわかります。

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