NHK連続テレビ小説「エール」第22週、第24週で登場する古関裕而の名曲「高原列車は行く」についてまとめます。
この曲は、かつて福島・会津地方に走っていた沼尻鉄道(磐梯急行電鉄)の車窓風景が歌詞のモチーフになっています。
「高原列車は行く」作曲のため福島に滞在する裕一
「エール」第22週では、裕一(窪田正孝)が「高原列車は行く」の作曲のためにしばらく故郷・福島に滞在することになります。
相変わらず古山家で独り身のまま暮らす浩二(佐久本宝)。母・まさ(菊池桃子)がたびたび持ってくる見合い話をいつも断っていましたが、どうも今回は様子が違います。
どうやら浩二は、仕事仲間であるリンゴ農家・畠山(マキタスポーツ)の愛娘・まき子に淡い恋心を抱いている様子。まき子が親戚の会社で経理の仕事をするために東京に出ることを知った浩二は、複雑な心境になっており…。
名曲「高原列車は行く」は、福島の男・浩二の恋模様にからめて曲の着想が練られていきます。
追記:「高原列車は行く」は第24週・第118回(11月25日)にも登場。木枯、鉄男、久志、藤丸ら長年の音楽仲間が集まった古山家。みんなでお酒を飲み肩を組みながら裕一の曲「高原列車は行く」が歌われました。
▼古関裕而・岡本敦郎コンビによる「高原列車は行く」「あこがれの郵便馬車」を収録したCD。
会津の車窓風景を歌った名曲「高原列車は行く」
▼雄大な磐梯山を眺めながら走った沼尻鉄道(磐梯急行電鉄)。線路が走っていたと思われる会津下館駅付近の風景。
「高原列車は行く」は、作曲・古関裕而、作詞・丘灯至夫、歌・岡本敦郎による1954年(昭和29年)の大ヒット曲です。
「牧場の乙女」「明るい青空」「白樺林」といった高原の爽やかな風景をうたう丘灯至夫の歌詞に、円熟期にあった古関裕而が明るく健康的なメロディーを作曲。
「白い花の咲く頃」を大ヒットさせ、古関裕而とともに「あこがれの郵便馬車」「みどりの馬車」などをヒットさせた名手・岡本敦郎が歌っています。
それまでの鉄道の歌といえば「夜霧」「雨」「別れ」「汽笛」など、暗く湿度が高い曲調を持つものが多かったのですが、「高原列車は行く」は底抜けに明るく、旅の楽しみと叙情に溢れた楽曲となっています。
中学校の音楽の教科書に採用され、古関裕而の故郷・福島駅在来線ホームの発車メロディに採用されるなど、「高原列車は行く」は現在も愛される名曲です。
沼尻鉄道(磐梯急行電鉄)の車窓風景がモチーフ
「高原列車は行く」は、作詞家・丘灯至夫が幼少期に見た車窓風景が歌詞のモチーフとなっています。
幼少期に病弱だった丘灯至夫少年は、しばしば湯治のために会津の奥座敷「沼尻温泉」「横向温泉」を訪れたそうです。
その時に乗車したのが、川桁駅(JR磐越西線)から北東に伸びる沼尻鉄道(磐梯急行電鉄)で、この高原鉄道から眺めた爽やかな車窓風景が丘灯至夫の心に焼き付いていたようです。
沼尻鉄道は硫黄鉱石を国鉄・磐越西線まで運ぶ貨物主体の鉄道として1913年(大正2年)に開業。川桁駅から沼尻駅まで15.6 km、11駅のローカル路線で、非電化の軽便鉄道でした。
1960年代に沿線のリゾート開発構想なども立ち上がりますが、1968年(昭和43年)に経営悪化により廃線となっています。
※沼尻鉄道は地元の通称で、日本硫黄耶麻軌道部、日本硫黄沼尻鉄道部、日本硫黄観光、そして廃線時の磐梯急行電鉄と、たびたび名称を変更しています。
▼会津下館駅前にあった旧長瀬協同組合は「村の停車場」と称された施設になっています。沼尻鉄道の資料や模型などの常設展示が行われているそうです。
▼終着駅だった沼尻駅跡にはかつての駅舎が残されています。