【エール】オペラ歌手・双浦環(柴咲コウ)は三浦環がモデル 古関裕而、金子夫妻との接点は?

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NHK連続テレビ小説「エール」で柴咲コウが演じる、世界的オペラ歌手・双浦環(ふたうら・たまき)。

この記事では双浦環の人物設定、それにモデル人物・三浦環のプロフィールや古関裕而との関わりなどをまとめます。

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目次

音のあこがれの人・双浦環

双浦環がドラマに登場するのは、第2週の予定。豊橋の少女・関内音は、たまたま教会で聞いた世界的オペラ歌手・双浦環の歌声に衝撃を受けると、環からの励ましもあり「歌が上手くなりたい」という大きな夢を抱くようになります。

後に音が歌手を目指して上京し東京帝国音楽学校に通うようになると、音はあこがれの女性・環と再会することになります。

環は東京帝国音楽学校の特別講師になり、音がプリマドンナを目指す記念講演の審査員を担当。歌手の夢を追う音に対し、環は厳しくも本質的な指導を与えます。

また、音の夫・裕一が作曲、発表をしたもののくすぶっていた楽曲「船頭可愛や」を環が歌い、大ヒット曲へと導く様子なども描かれそうです。

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世界的オペラ歌手・三浦環がモデル

双浦環は、実在したオペラ歌手・三浦環(みうら・たまき)がモデル人物となっています。ただし、あくまで双浦環は三浦環をモチーフとした「エール」オリジナルのキャラクターであり、人生の時系列や個々のエピソードなど、フィクションの要素も多く入ります。

三浦環は、1884年(明治17年)東京・京橋生まれ。3歳の頃から日本舞踊、6歳の頃から長唄と箏を習うなど、幼い頃から音楽の感性を磨いています。

やがて東京音楽学校(現在の東京藝術大学音楽学部)に入学すると、瀧廉太郎(ピアノ)、幸田延(声楽)らに師事。在学中には日本人の手による初めてのオペラに出演し、成功を収めています。

音楽学校を卒業後は研究科へと進み山田耕筰らを教え、1907年(明治40年)には助教授になっています。1914年(大正3年)、前年に結婚していた医師の夫・三浦政太郎とともにドイツに留学。助教授の座を捨て、音楽に生きる決意を持っての渡欧でした。

「蝶々夫人」で大きな成功 2000回公演達成

欧州でオペラの才能を認められた環は、イギリス、アメリカ、イタリア、スペインなど欧米各地で次々に公演を成功させています。

特にジャコモ・プッチーニ(イタリア)作のオペラ「蝶々夫人」の蝶々さん役は当たり役で、プッチーニ本人からも激賞されたほど。環による「蝶々夫人」の公演は実に2000回(!)を数え、国際的に知られるオペラ歌手として成功を収めています。

1935年(昭和10年)、2000回公演達成を機に帰国すると、日本国内でも「蝶々夫人」などの舞台に出演。終戦後も国内でリサイタルを開くなど、本場欧州で培った音楽文化を日本へと伝えています。

古関裕而と三浦環「船頭可愛や」

以上のように、世界的な成功を収めた三浦環。「エール」主人公のモデルとなっている古関裕而・金子夫妻とも接点がありました。

古関裕而作曲「船頭可愛や」(歌・音丸)がヒットしていた1935年(昭和10年)、「蝶々夫人」の成功をもって帰国した環は、古関裕而が専属契約していた日本コロムビアの専属声楽家となっていました。

こうした縁もあったのでしょう。たまたま「船頭可愛や」を聞いて感激した環は、「ぜひ私も歌ってレコードに入れたい」と申し出ています。三浦環バージョンの「船頭可愛や」は「青盤レコード」(外国の著名な音楽家のレコードに与えられるラベル)として発売され、その後、「月のバルカローラ」という古関裕而の曲も三浦環により青盤レコードとして発表されています。

自身の曲が青盤レコードとして発売されるのは、大変な名誉だったそうです。「エール」劇中でも「船頭可愛や」の双浦環バージョンが「青盤レコード」として出されることを巡り、青盤レーベルの中心人物である作曲家・小山田耕三(志村けん。山田耕筰がモデル人物)が不満を表明するシーンがあるようです。

「古関裕而初期作品集」には、音丸版・船頭可愛や三浦環版・船頭可愛やの貴重な音源がそれぞれ収録されています。同じ曲でもバックグラウンドが違う二人が歌うと、まったく別の表現となります。アルバムはほかに「福島夜曲」「福島行進曲」「紺碧の空」「大阪タイガースの歌」なども収録。リンク先・Amazon「古関裕而初期作品集」商品ページ内でアルバム全曲視聴(約30秒)ができます。

▼三浦環バージョン「船頭可愛や」。

古関金子あこがれの人・三浦環

一方、歌手を志した妻・古関金子にとって、三浦環は幼い頃からの憧れの存在だったようです。

金子は帝国音楽学校で環の妹弟子(同じイタリア人声楽家に師事)でもあった声楽家・ベルトラメリ能子に師事しており、環の存在は身近に感じていたことでしょう。

また、古関夫妻と三浦環が同じ枡席で相撲観戦をしたエピソード(環が巨漢過ぎてスペースがなく、金子が裕而の膝の上に乗った)なども、古関裕而の自伝「鐘よ鳴り響け」に書かれています。

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