NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」のタイトルに込められた意味などをまとめます。
印象派の巨匠クロード・モネの「印象・日の出」、それに東日本大震災がタイトルの由来と予想します。
東日本大震災が大きなテーマ
朝ドラ「おかえりモネ」は、宮城県の気仙沼湾に浮かぶ架空の島・亀島(気仙沼大島がモデル)生まれの永浦百音が主人公の現代劇。ある事情により島を飛び出して内陸部の登米に移住した百音が、気象予報士を目指して奮闘する姿が描かれていきます。
「おかえりモネ」は、ドラマの大きなテーマとして2011年に発生した東日本大震災が横たわります。あくまで当ブログの独自見解ですが、ドラマの根底のテーマとして、「震災当事者」と「非当事者」の間に横たわる複雑な感情などが描かれていくものと予想します。
以下、「おかえりモネ」のタイトルに込められた意味をまとめます。
「モネ」は百音の愛称 クロード・モネを意識か
タイトルにある「モネ」は、ヒロイン・永浦百音の愛称。本名は「ももね」と読みますが、百音は幼い頃から「モネ」と呼ばれています。※「百音」は音楽好きの父・耕治が命名したものと思われます。
「モネ」という言葉を聞いて真っ先に思い浮かぶのが、印象派を代表するフランスの巨匠(画家)、クロード・モネでしょう。
印象派といえば、空間と時間により目まぐるしく変化する光の色や姿を捉え、空気中の水蒸気量や風のゆらぎなど、人間が肌身で感じる風景を描いた作風で知られます。
百音は移住先の登米で気象予報士の仕事を目指すことになるのですが、微細な光や風の変化を捉えるその職能は、まさに印象派の画家たちが目指したものと相通ずるものがあります。
名作「印象・日の出」と気仙沼の「けあらし・朝日」
▼クロード・モネの名作「印象・日の出」。画像はWikipediaより転載(パブリック・ドメイン)。
「印象派」という言葉を生み出すきっかけになったクロード・モネの名作「印象・日の出」は、霧の港の中に浮かぶ太陽(日の出)と、海に浮かぶ船がモチーフ。
百音は、故郷・気仙沼の港で発生する霧「けあらし」と、海から昇る朝日の風景が大好きだったそうです。
その幻想的な風景は、まさにクロード・モネの「印象・日の出」を連想させますが、東日本大震災の際に亀島が炎上している風景を対岸(本土の気仙沼)から見て以降、大好きだった「けあらし」の風景と震災風景がどうしてもリンクしてしまうようです。
「おかえりモネ」にでてきた気仙沼の気嵐は冬に見ることができます。#おかえりモネ#気仙沼#気嵐 pic.twitter.com/0HF0Hl28PR
— 気仙沼の旅 Kesennuma Trip (@KesennumaT) May 21, 2021
「おかえりモネ」
東日本大震災の発生当日、百音は受験をしていた音楽コースのある仙台の高校の合格発表を見に行っており、島にはいませんでした。
合格発表の帰り道、百音は父・耕治とともに仙台のジャズクラブを訪ね、午後2時からプロの演奏を堪能し、そこで震災に遭遇しています。百音は無事でしたが、ようやくたどり着いた気仙沼で、対岸に見える故郷・亀島の炎上風景を目撃しています。
震災当時の亀島は、まだ本土と繋がる大橋も完成しておらず、津波と大火災で完全孤立をしています。
島に不在だった百音は、「あの時何も出来なかった」という後ろめたさを抱えたまま島と向き合うことが出来なくなり、高校を卒業すると逃げるように登米へと移住。島のことは大好きだけど、島に居るのが辛い…。震災当事者でありながら震災当事者ではない…。そんな複雑な気持ちを抱え続けていくことになります。
「おかえりモネ」のストーリーは、百音が気象予報士として成長し、「あの日何も出来なかった」亀島のために何が出来るのかを発見していく過程が描かれていきます。
タイトルの「おかえり」という言葉は、島を飛び出して成長した百音が、何らかの明確な答えを持って亀島に帰ってきた際にかけられる温かい言葉となることでしょう。
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