「おかえりモネ」東日本大震災時に百音が亀島に居なかった理由、島を出た理由とは?気仙沼大島の震災被害

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NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」は、2011年に発生した東日本大震災がドラマの大きなテーマとして横たわります。

震災時、百音はある事情で故郷の島・亀島にはおらず、それが原因で百音は登米へと移住することになります。この記事では、百音が震災時に島に居なかった理由などをまとめます。一部ネタバレを含みます。

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大きな被害を受けた気仙沼大島

「おかえりモネ」に登場している百音の故郷・亀島は、気仙沼湾に浮かぶ実在の島・気仙沼大島がモデル、撮影地となっています。

2011年の東日本大震災において、気仙沼大島にも大津波が到達。海岸沿いの家が多数流され、島内では大規模な火災が発生しています。

当時はまだ島と本土を結ぶ大橋が完成しておらず、フェリーや漁船、港を失った島は完全孤立。当時の大島の人口約3000人(このうち1000人は仕事などのため島を出ていた)のうち、高齢者や子供を中心とする2000人が、ライフラインが壊滅的となった島に取り残されています。
※外部からの救援は、震災発生から3日後のアメリカ第7艦隊「ともだち作戦」が最初だったとか。

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▼震災発生時、火の海となった気仙沼付近。津波によりタンクから重油が流出したことで発生した気仙沼湾の大規模な火災が、本土とともに大島にも延焼。大規模な山火事に発展しています。

百音の3.11 仙台にいた

5月21日放送の第5回などで、百音が東日本大震災の亀島の大被害を対岸から見つめ、絶望する回想シーンが登場しています。このシーンは、前述した気仙沼大島の大被害がモチーフになっていると考えられます。

あらすじによれば、震災発生当日の百音の行動は以下の通り。

2011年3月11日、のめり込んでいた音楽(吹奏楽・アルトサックス)の道に進もうと考えていた中学3年生の百音は、音楽コースのある仙台の高校(仙台青葉学園)の合格発表を見に行くため、父・耕治とともに仙台に行っていたようです。※百音は不合格となり「目が覚めた」と耕治に語っています。

合格発表を見に行った帰り。百音は耕治とともに仙台のジャズクラブを訪れ、午後2時から始まったプロの演奏に釘付けになっていました。そして、午後2時46分に大地震が発生。
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百音は仙台の都市部にいたため直接の被害はまぬがれたようですが、父の車でなんとかたどり着いた気仙沼(本土側)で、前述した島の大炎上風景を目撃することになったのです。百音は数日後にようやくたどり着いた島の避難所(大島小学校で撮影)で、孤立の中助け合いながら生き延びた島の人々と再会。百音の幼なじみである及川亮とその父・新次は、この震災で「大切な人」を亡くしてしまいます。

以降、百音は「あの時何も出来なかった…」「音楽なんてなんの役にも立たない」という引け目を感じたまま、島と向き合うことが出来ず、高校を卒業すると逃げるように祖父の知り合い・サヤカがいる登米へと向かったのでした。

百音は登米で気象予報士という仕事の魅力を知り上京することになりますが、これが後に百音が島に帰る(「おかえりモネ」というタイトルの由来?)キッカケを作ることになります。

▼百音が島の震災被害を目撃した高台は、震災当日に気仙沼でロケを行っていたサンドウィッチマンが避難した場所。
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▼気仙沼湾に浮かぶ気仙沼大島が亀島のモデル。島の北側に見えるのが島と本土を繋ぐ気仙沼大橋(愛称・鶴亀大橋)で、震災後の2019年(平成31年)4月7日に開通。アプローチ道路を大震災の津波の高さよりも高いものにして、二度と島が孤立しないようにという願いがこめられた、島民悲願の橋です。

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