NHK連続テレビ小説「らんまん」最終週、第127回(9月27日放送)より。
波多野からの推薦を受けて博士号(理学博士)が授与された万太郎。学位の授与記念特別公演が開かれた会場のロケ地は、モデル人物である牧野富太郎にとって縁が深い「小石川植物園本館」でした。
牧野富太郎は自叙伝において、理学博士の授与に関して実に彼らしい不満?の言葉を残していますので、あわせてまとめます。
波多野からの熱烈オファーで理学博士となる万太郎
神社合祀令に反対の立場を取り、東京帝国大学の助手の職を辞した万太郎(神木隆之介)。
それ以来肩書にこだわらず在野の研究者として長年植物図鑑の製作を進めてきた万太郎ですが、植物学教室時代の盟友・波多野(前原滉)の強い勧めにより博士号(理学博士)の学位を授与されることになります。
そして迎えた「東京帝国大学理学博士・槙野万太郎 博士号授与記念特別公演」の当日。会場には寿恵子(浜辺美波)や千鶴(本田望結)、波多野、藤丸(前原瑞樹)、そして名誉教授となっていた徳永(田中哲司)らゆかりのある人たちが集い、万太郎の晴れの日を見守りました。
ロケ地は小石川植物園(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)の本館前
これまでお世話になった人たちに深い感謝の意を伝えることになった、万太郎の博士号授与記念特別公演。
このシーンのロケ地となったのは、東京都文京区白山にある東京大学大学院理学系研究科附属植物園、通称「小石川植物園」の本館前です。
万太郎のモデル人物・牧野富太郎にとってもゆかりが深い場所ですね。
▼小石川植物園の本館。この建物の前で万太郎は記念特別公演を行っています。
小石川植物園は、約340年前の貞享元年(1684年)に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」がルーツ。
1877年(明治10年)に東京帝国大学が設立された際に同大学理科大学(現:理学部)附属の植物園となり、以来東京大学(東京帝国大学)の歴史とともに発展してきました。
万太郎のモデル人物である牧野富太郎は、1883年(明治16年)に第2回内国勧業博覧会を見学するために初上京し、その際に文部省博物局を訪ねて田中芳男と小野職愨(「らんまん」では里中芳生、野田基善として登場)に会うと、小石川植物園を案内されています。
その後、富太郎は矢田部良吉教授(「らんまん」田辺教授のモデル)から東京大学植物学教室への出入りを許されています。
当時の植物学教室は本郷本富士町の大学東校キャンパス内の通称「青長屋」(病棟として建てられた建物)にありました。矢田部教授が戸隠山で採集してきたトガクシソウを小石川植物園に植栽しておくなど、小石川植物園は植物学教室の面々のバックヤード、研究の場所として利用されていたことでしょう。
その後、富太郎が帝国大学理科大学の助手になった後の1897年(明治30年)には、植物学教室は小石川植物園内に移転。講義棟も同園内に建設され、植物学に関する講義もここで行われていました。まさに日本の植物学の中心地だったわけですね。※1934年に植物学教室は本郷に再移転。
今も小石川植物園内には「精子発見のイチョウ」「精子発見のソテツ」が残ります。「らんまん」で画工の野宮朔太郎(亀田佳明)と波多野泰久の偉業として描かれた「イチョウ・ソテツの精子の発見(by平瀬作五郎、池野成一郎)」のモデルになったものですね。
理学博士の学位は欲しくなかった?牧野富太郎、不満の言葉を残す
牧野富太郎は1927年(昭和2年)に65歳で理学博士の学位を受けています。
しかし、牧野富太郎の自叙伝にはこの学位授与に関して不満タラタラ?とも読み取れる文章が書かれていますので、抜粋しておきます。
※「らんまん」の万太郎は途中で大学の職を辞していますが、牧野富太郎は大学の助手となって以来47年間、東京帝国大学に勤めています。
今迄も理学博士にしてやるから、論文を提出しろとよくいわれたが、私は三十年間も意地を張って断ってきた。しかし、周囲の人が後輩が学位をもっているのに、先輩の牧野が持っていぬのは都合が悪いから、是非論文を出せと強いて勧められ、やむなく学位論文を提出することにした。
(中略)〜「大日本植物志」その他を参考として(論文を)提出し、理学博士の学位を得た。私は、この肩書で世の中に大きな顔をしようなどとは少しも考えていない。私は大学へ入らず民間にあって大学教授としても恥ずかしくない仕事をしたかった。大学へ入ったものだから、学位を押し付けれたりして、すっかり平凡になってしまったことを残念に思っている。
どうやら牧野富太郎という人は、自身が小学校中退でアウトローであることを逆にブランドとして利用していたような節があり(笑)、理学博士などもらってしまっては凡百のエリート研究者になってしまうと考えていたようですね。
「らんまん」で万太郎が波多野からの理学博士推薦オファーを一度は固辞したというエピソードは、こういった「権威嫌い」だった富太郎の性格をモチーフに、ドラマとして美談に仕立てたものと言えそうです。