NHK連続テレビ小説「ブギウギ」第7週などに登場する梅丸のライバル会社・日宝(にっぽう)についてまとめます。スズ子は松永から日宝への移籍を誘われると、梅丸を巻き込んだ泥沼の騒動へと発展していきます。
日宝のモデルと思われる東宝(当時は株式会社東京宝塚劇場?)は、笠置シヅ子を松竹から引き抜こうとして騒動を起こしたという史実がありますので、その経緯などをまとめます。
【ブギウギ】憧れの松永から日宝への移籍を誘われて…
スズ子(趣里)が東京の梅丸楽劇団(UGD)に移籍して一年が過ぎた1939年(昭和14年)。新聞から「スウィングの女王」と書き立てられるまでに成長していたスズ子に、思わぬ騒動が降りかかります。
ある日スズ子は、淡い恋心を抱いていた演出家の松永大星(新納慎也)から「ちょっと内緒の話がしたい」と誘い出されると、梅丸のライバル会社である株式会社日宝に一緒に移籍しないかと誘われることになります。
日宝の社長・大林林太郎(利重剛)から梅丸の1.5倍の給料を出すという契約書を渡されたスズ子。ちょうどこのタイミングでツヤ(水川あさみ)の原因不明の腰痛の治療費問題が浮上すると、スズ子は好条件の日宝に移籍するべきか梅丸への義理を貫くべきか、おおいに悩んでいくことになります。
やがて水面下で進められていた移籍話が梅丸側にバレてしまうと、梅丸社長の大熊(升毅)はスズ子の裏切り行為に激怒。スズ子は辛島部長(安井順平)から事の次第を問い詰められると、初めて大変なことをしてしまったと後悔することになります。
スズ子を軟禁してまで日宝への移籍を阻止しようとする梅丸と、ライバル会社の新進スター・スズ子を何としても強奪したい日宝。これにスズ子の移籍に断固反対する師匠・羽鳥善一(草彅剛)も加わり、移籍騒動はてんやわんやの様相を見せていき…。
▼移籍騒動の後に生まれる新曲「センチメンタル・ダイナ」。まるで今のスズ子の心情を歌ったかのような歌詞内容に注目です。
※日宝=東宝、梅丸=松竹がそれぞれモデルになっています。
1932年、阪急電鉄の創業者・小林一三はエンタメ部門(映画、演劇興行など)を担う「株式会社東京宝塚劇場(1943年に東宝映画と合併し東宝に)」を東京で設立。小林一三が同社の社長となり日比谷一帯を傘下にすると、浅草を手中に収めていた松竹とともに東京の興行界を二分する存在になっています。現在も使われる「東宝」の名は「東京宝塚」の略ですね。
「ブギウギ」で登場する日宝の社長・大林林太郎(利重剛)は、株式会社東京宝塚劇場(後の東宝)の社長も務めた小林一三がモデルではないかと予想します。前作朝ドラ「らんまん」でも若き日の小林一三が登場していましたね。
▼東宝=阪急グループといえば、宝塚歌劇団を生み出した企業です。「ブギウギ」ではその前身である宝塚少女歌劇団をモデルにした花咲少女歌劇団が登場していますね。スズ子にとって花咲は自分を受け入れてくれなかった因縁の相手。お高く止まっている花咲(=日宝)に反発心があったはずのスズ子ですが…。
【史実】「スイングの女王」笠置シヅ子を引き抜こうとした東宝
スズ子の日宝移籍(引き抜き)騒動は、1939年(昭和14年)に実際に発生した笠置シヅ子(「ブギウギ」福来スズ子のモデル)の「東宝移籍(引き抜き)騒動」がモデルになっています。
※多くの資料で笠置シヅ子を引き抜こうとしたのは「東宝」とだけ書かれていますが、正しくは現在の「東宝株式会社」の前身で当時の東京の興行界(舞台・演劇の興行など)を握っていた「株式会社東京宝塚劇場」かと思われます。この記事でも簡易的に「東宝」と表記しています。
前年に上京して松竹楽劇団(「ブギウギ」梅丸楽劇団のモデル)に参加し、服部良一(「ブギウギ」羽鳥善一のモデル)とのコンビにより「スイングの女王」としてスター街道を歩み始めていた笠置シヅ子。そんな彼女を東宝に引き抜こうとしたのが、構成や演出担当として松竹楽劇団の立ち上げに参加していた三井財閥の御曹司・益田貞信(「ブギウギ」松永大星のモデル)でした。
大衆路線を掲げる松竹楽劇団と決別し、早々に同劇団から去っていた益田貞信。東宝で新たに活躍の場を与えられていた益田は、松竹楽劇団時代にいち早く才能を見抜いていたお気に入りの歌姫・笠置シヅ子を東宝に引き抜こうと画策しています。東宝としても、ライバル会社である松竹の新スター・笠置シヅ子は是非とも手に入れたい存在だったのでしょう。
シヅ子は美男の御曹司・益田に恋心を抱いていたことに加え、養母のうめ(「ブギウギ」ツヤのモデル)の病気の治療費問題を抱えていたこともあり、益田の誘いに乗っかってしまいます。
シヅ子は松竹に言わずに東宝との移籍交渉を進めると、月給300円という好条件(松竹では月給200円)で東宝との契約書にサインをしてしまいます。
ところが、この動きを知った松竹の幹部は激怒。シヅ子は松竹楽劇団の団長・大谷博(「ブギウギ」辛島部長のモデル?)に呼び出されて叱責されると、神奈川の葉山にあった大谷の別荘で23日間、大谷夫人の監視の下で監禁同然の状態に置かれています。
【史実】「師匠」服部良一が仲裁 松竹残留で決着
この泥沼の騒動の中で仲裁に立ち上がってくれたのが、シヅ子の歌の師匠になっていた作曲家・服部良一でした。ドラマでも描かれたように、服部は音楽監督として松竹楽劇団に参加するとそこで笠置シヅ子に出会い、二人は理想のジャズを実現するための師弟コンビになっていました。
服部は「笠置くんが(松竹を)辞めるなら僕も辞めさせてもらう」と発言すると、松竹・東宝両サイドとの交渉に出陣。金銭問題などを含めた解決への道筋を服部が付けてくれたそうです。結局服部の尽力により、シヅ子は松竹の残留が決定。「元サヤ」の形で騒動は一件落着しています。
服部としても、興行界で強大な力を持っていた東宝を敵に回してまで松竹の肩を持つというのはリスクがあったはず。それにも関わらず一肌脱いでシヅ子を東宝から松竹に奪還したという史実は、いかに服部良一の音楽(ジャズ)にとって笠置シヅ子という歌い手が必要だったかを物語っています。
「ブギウギ」でも一連の移籍騒動をキッカケに、羽鳥善一とスズ子の信頼関係が強まる様子や、憧れの御曹司・松永大星とスズ子の恋の急転直下の展開などが描かれそうです。