NHK連続テレビ小説「花子とアン」第21週(8月18日~23日)放送より。前週より時代は少し飛び、昭和7年(1932年)になっています。
女流作家が寄稿する「家庭」創刊
関東大震災や歩の死のショックからようやく立ち直り、仕事に精を出す村岡花子(吉高由里子)。
夫・英治(鈴木亮平)とともに立ち上げた出版社兼印刷所「青凛社(せいりんしゃ)」の経営も順調で、機関誌「家庭」を創刊するなど、ますますその活動の幅を広げていました。
「家庭」の執筆作家陣には花子の旧知の仲である宮本蓮子(仲間由紀恵)、醍醐亜矢子(高梨臨)、宇田川満代らが名を連ね、当時花盛りだった女流作家たちが勢揃い。青凛社にとっても「家庭」は社の方向性、指向を世に知らしめる基幹となるメディアであり、今後力を注ぐ事業となります。
この機関誌「家庭」は実在したのですが、どのような理念を体現した雑誌なのか、ちょっと調べてみました。
家庭生活に根ざした文学を目指す「生活派宣言」
昭和5年(1930年)、村岡花子と夫・儆三が経営する「青蘭社(せいらんしゃ)」から「家庭」は創刊されました。創刊にあたり、誌面には「生活派宣言」と題された決意表明が掲載されました。
それによれば、
「文学において、私は生活に基調をおいたものを愛する。優れた創作から私たちは、生活に対する公平な批判を得られるべき筈である。」
とあります。これは花子らしい宣言と言えます。
「文学の為の文学」を指向するのではなく家庭生活に根ざした文学を追究することで、人間生活をより善いものへと転化させて行く、そんな役割を意識していたのでしょう。
また、作中に生活の鼓動や脈拍を感じる有機的な文学を目指す事、そのためにも「畸形的」「変態的」「性欲文学」「醜怪文学」等を好まないとし、宣言は最後にこう結ばれます。
「私はささやかな此の「家庭」に陣営をかまへて、「生活派」の文学を提唱する。」
白蓮も協力 青蘭社の明るい未来を目指した
この機関誌「家庭」には、花子自身が翻訳を連載した他、吉屋信子、中里恒子、生田花世、徳永寿美子といった当時の華々しい女性作家達が寄稿しました。読者から募った短歌の受賞者選出には、朋友である柳原白蓮も協力していました。
機関誌「家庭」は、後に同名の他団体雑誌が登場したことから誌名を「青蘭」へと改題しています。社名と同じ名前に改題するあたり、この機関誌に対する村岡夫妻の思い入れが窺われます。