「おちょやん」万太郎と千之助の須賀廼家兄弟一座 モデルは曾我廼家兄弟劇か

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NHK連続テレビ小説「おちょやん」に登場する劇団「須賀廼家兄弟一座」(すがのや・きょうだいいちざ)についてまとめます。

「須賀廼家兄弟一座」は、日本の喜劇の祖ともいえる「曾我廼家兄弟劇」がモデルになっている可能性があります。

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目次

万太郎と千之助「須賀廼家兄弟一座」

「おちょやん」第14週では、初来日する喜劇王・チャップリンとの顔合わせを賭けて、鶴亀家庭劇須賀廼家万太郎一座が激突します。このバトルの中で、須賀廼家万太郎(板尾創路)と須賀廼家千之助(星田英利)の過去の因縁が明かされていきます。

万太郎と千之助は、売れない歌舞伎役者だった21年前に須賀廼家兄弟一座を立ち上げています。万太郎と千之助の息のあった芝居は評判となり、看板役者として一座を人気劇団に押し上げています。

しかし、万太郎はある日突然「お前と一緒に芝居をしていても退屈や」と言いだして千之助の出番を奪い、劇団から切り捨ててしまったとか。以来、千之助は万太郎を恨み続け…。

モデルは五郎十郎の「曾我廼家兄弟劇」か

須賀廼家兄弟一座は、日本における喜劇の最初とも言われる曾我廼家兄弟劇がモデルの可能性があります。

曾我廼家兄弟劇は、歌舞伎の大部屋俳優だった中村時代(→曾我廼家十郎)と、8歳年下の中村珊之助(→曾我廼家五郎※)が立ち上げた劇団。十郎と五郎は、それまでの大阪俄から猥雑なくすぐりや駄洒落の要素を取り除いた現代的な芝居「喜劇」を提唱し、まったく新しいタイプの庶民の笑いを創り上げています。※五郎=万太郎のモデル。

二人の息のあった芝居により、兄弟劇は大きな人気を獲得していきます。五郎は勧善懲悪で涙と笑いと説教臭いものが得意。一方の十郎は、乾いたナンセンスな笑いでシュールな要素もあり、時代の先を行くもの。五郎はどう頑張っても十郎に敵わないという思いがあったようです。

喜劇という新しいジャンルを発明し、多くのフォロワー劇団(初代渋谷天外が率いた楽天会=天海天海一座のモデル=もその一つ)を生み出した曾我廼家兄弟劇でしたが、やがて喜劇観の違いなどもあり二人は決別。兄弟劇は五郎劇、十郎劇に分裂してしまいます。

その後、才能豊かだった十郎が早くに亡くなったこともあり、五郎が「喜劇王」として君臨。五郎率いる五郎劇(須賀廼家万太郎一座のモデル)が喜劇界において天下をとったのです。

千之助=十吾、十郎、楽翁のミックスか

「おちょやん」の須賀廼家千之助は、2代目渋谷天外とともに松竹家庭劇・新喜劇を牽引した曾我廼家十吾(十郎の弟子)がキャラクター創作のベースになっていると考えられます。これに曾我廼家兄弟劇を立ち上げて五郎と切磋琢磨した曾我廼家十郎、さらに初代渋谷天外とともに楽天会を牽引した中島楽翁の要素も千之助のキャラクターに組み込まれているようです。

「おちょやん」における須賀廼家兄弟一座の万太郎と千之助の確執は、曾我廼家兄弟劇の五郎と十郎の確執に加え、十郎の弟子・十吾が五郎劇に所属したものの、五郎と折り合いが悪く五郎劇を脱退した(座長の五郎が十吾を嫌った?)という史実もモチーフになっているのかも知れません。

後に五郎は喉頭がんに侵されると、病を押して、大阪・中座で十吾と20年ぶりの共演をしています。こうした五郎と十吾の関係性も、「おちょやん」の万太郎・千之助コンビのエピソードとして描かれそうです。

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