「らんまん」相島が山桃を「5万円」で買い取り(大正12年) 現在の貨幣価値、物価でいくらくらい?

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NHK連続テレビ小説「らんまん」9月22日(金)放送の第125回より。

郊外への移住のために渋谷の店「山桃」を手放す決意を固めた寿恵子。さっそく相島に店の買い取りを打診したところ、相島は5万円という驚くような金額を提示しています。

1923年(大正12年)当時の5万円が持つ価値や、現在に換算してどれくらいの値段感覚なのか、簡単にまとめてみたいと思います。

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目次

寿恵子の店「山桃」の価値は5万円だと相島 29年前に120円で購入

1923年(大正12年)の関東大震災により万太郎(神木隆之介)の標本や資料の多くが失われたことを受けて、寿恵子(浜辺美波)は東京郊外への移住を決意しています。

寿恵子は新居の土地購入の資金を捻出するため、渋谷の店「山桃」の売却を決断。ともに渋谷という町を盛り上げてきた相島(森岡龍)を座敷に呼び出すと、「どうかこの店の今の値打ちを正しくお見積りいただけないでしょうか」と店の買い取りを打診しています。

寿恵子を町づくりの盟友と感じ、その仕事ぶりを最大限に評価してきた相島は、5万円という当時としては破格の金額を提示してくれます。これにより寿恵子は東京郊外の農村・大泉村に広大な土地を購入し、終の棲家の建設に乗り出すことになります。

※この渋谷の「山桃」はもともと朽ち果てそうな空き物件でした。1896年(明治29年)、叔父叔母夫婦がこの空き物件を寿恵子に紹介していますが、当時叔母のみえ(宮澤エマ)は「今なら120円で譲るって」と寿恵子に語っています(第22週)。

消費者物価指数(図録)を見ると、明治29年が153で、大正12年が508。単純計算で物価が3.3倍とはなっていますが、寿恵子は120円で購入した物件を29年後に5万円で売り抜けたというわけです。

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大正12年当時の5万円=現在の9,000万円近く!

「らんまん」第125回の時代設定は、関東大震災から1ヶ月後とのことですので、1923年(大正12年)10月頃だと思われます。

参考までに、1923年(大正12年)と2023年(令和5年)の消費者物価指数の変化を以下に比べてみます。

★2023年(令和5年)現在の消費者物価指数は、1923年(大正12年)の約1,782倍。

※一貫した消費者物価指数のデータがないため、以下の各消費者物価指数のデータをつなぎ合わせて計算しています。

・消費者物価(図録)…大正12=508 → 昭和29=138,565 (272.765倍)
・消費者物価(日銀)…昭和29=301.8 → 昭和57=1474.1 (4.884倍)
・総務省H22基準…昭和57=83.2 → 平成27=103.6 (1.245倍)
・IMFデータ…平成27=98.22 → 令和5=105.5 (1.074倍)

合計 1781.59倍

消費者物価指数を参考にすると、1923年(大正12年)に相島が提示した「山桃」の買取金額「5万円」は、現在に換算すると約8.910万円(50,000×1,782)というとんでもない金額になります。

寿恵子は、現在の新卒社会人の年収の30年分(300万円×30年=9,000万円)に相当するような大金を手にしてしまったわけです。

ちょっとびっくりする金額なので、念のため1923年(大正12年)当時の給与水準なども見てみましょう。

・国家公務員初任給(月俸)=75円
・大卒初任給(月給)=40円(大正9年)、50円(大正14年)
・巡査初任給(月給)=13円(大正9年)、15円(大正14年)

・給与所得者の平均年収=583円(大正9年)、741円(大正14年)

相島が寿恵子に提示した「5万円」は、当時の給与所得者の平均年収のおよそ70〜100年分。高給取りである国家公務員で考えても年収の50年分以上という計算になります。ほぼ生涯賃金レベルですね。

先程の消費者物価指数の計算とは少し乖離がありますが、いずれにしてもとんでもない金額だということがわかります。

同席した仲居のおフミさん(那須凜)が「5万!!?」と驚きの声を挙げていましたが、そりゃあ驚くに決まってますよね。

岩崎弥之助が提示した「菊くらべ」の報奨金もそうでしたが、この時代の成功者のお金持ちぶり、羽振りの良さは半端ないものだったのでしょう。

相島は東急グループの実質的創業者・五島慶太をモデルにしていると考えられますので、お気に入りの寿恵子女将に「5万円」(現在の約9,000万円)をポンと出しても惜しくないくらい儲かっていたのでしょう。人が集まり始めた渋谷の町は、それだけの価値を持ち始めていたとも考えられます。

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