「虎に翼」三淵忠彦がモデル 初代最高裁判所長官・星朋彦(平田満)が登場

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NHK連続テレビ小説「虎に翼」第12週に、初代最高裁判所長を務めた三淵忠彦がモデルではないかと思われる「星朋彦」という人物が登場します。

平田満が演じるという星朋彦とその息子・星航一が、寅子の人生にも大きく関わってくる可能性がありますので、人物像などをまとめます。

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【虎に翼】最高裁判所長官・星朋彦が登場

1949年(昭和24年)1月。家庭裁判所設立準備室に所属し、上司の多岐川(滝藤賢一)らとともに家庭裁判所の新設に尽力した寅子(伊藤沙莉)は、晴れやかな気持ちで家庭裁判所の開所記念式典に出席します。

この日、寅子は式典に出席していた初代最高裁判所長官の星朋彦(ほし・ともひこ)から「東京家庭裁判所判事補」に任ぜられ、念願だった裁判官になります(第12週)。寅子は星朋彦の著作の改稿作業を手伝ったことをキッカケに、朋彦との交流を深めていくとのこと。

※星朋彦役をベテラン俳優の平田満が演じることが発表されています。平田満は愛知県豊橋市出身の70歳。1982年の映画「蒲田行進曲」での演技が高く評価され、日本アカデミー賞最優秀主演男優賞など多数の賞を受賞。NHK朝ドラは「君の名は」「純情きらり」「芋たこなんきん」「エール」に出演。

この星朋彦という人物は、初代最高裁判所長官の肩書を持つことや、後に星朋彦の息子である星航一(岡田将生)という若き裁判官が登場して寅子と関わることなどから、初代最高裁判所長・三淵忠彦がモデルになっていると予想します。

参考までに、星朋彦の息子と思われる星航一の簡単な人物プロフィールをドラマ公式ガイドブックから以下に引用します。現在のところ星航一がどのように寅子と関わっていくのかは非公開となっていますが、物語後半の重要人物になっていきそうです。

◆星航一(ほし・こういち)…岡田将生◆
父親が法曹界の重鎮で、自らも裁判官。性格は温和だが、本心は誰にも見せない。

※後述するように、「星朋彦・星航一親子」は「三淵忠彦・三淵乾太郎親子」がモデルになっている可能性があります。三淵乾太郎は三淵嘉子(寅子のモデル)の再婚相手であることから、岡田将生が演じる星航一が寅子の再婚相手になる可能性が浮上しています。

【史実モデル】初代最高裁判所長・三淵忠彦

三淵忠彦(みぶち・ただひこ)は、1880年(明治13年)に岡山県で会津藩士・三淵隆衡の息子として誕生しています。

京都帝国大学法科大学を卒業すると書生を経て東京地方裁判所の判事となり、大審院判事(1923年)、東京控訴院上席部長(1924年)などを歴任。裁判官在任中には労働法の制定や家庭裁判所の設置などを求める弁護士の片山哲に同調を見せており、これが後に初代最高裁判所長官に就任する伏線となっていきます。

1925年(大正14年)に45歳で退官すると、三井信託株式会社に入社して法律顧問に就任。ここから長きに渡り、法律の専門家として民間の企業を支える仕事を見せています。

戦後、新憲法制定の際に最高裁判所が設立される運びとなると、初代最高裁判所長官の候補者を選定することになり、三淵忠彦の人生が大きく動いていきます。

当初は最高裁判事の候補者にすら挙げられていなかった三淵忠彦ですが、1947年(昭和22年)に旧知の仲である片山哲(弁護士から衆議院議員・日本社会党委員長になっていた)が第46代内閣総理大臣に任命されると、同内閣で司法大臣となった鈴木義男が三淵忠彦を推挙。片山首相の後押しなどもあり、三淵忠彦は初代最高裁判所長官に就任しています(任期は1947年8月〜1950年3月)。

長官就任にあたり、三淵忠彦は「裁判官は世間知らずであってはならず、政治に巻き込まれてはならないが、政治の動向に無関心であってはならない。国民のためのよき裁判所を作るため、どうすればいいかほかの14裁判官と相談、勉強していきたい」と抱負を述べています。

三淵忠彦は誕生したばかりの最高裁判所の道筋を作るとともに、GHQ(総司令官 ダグラス・マッカーサー)に対して裁判官の地位や報酬を約束するよう書簡を送るなど、法曹界に足跡を残した人物として知られます。

長官就任から1年あまり後、三淵忠彦は内臓腫瘍に倒れて登庁不能になると、8ヶ月間に渡る長期欠勤が国会で問題に。その後、登庁を再開しますが再び倒れ、定年は病床で迎えています。結局その4ヶ月後の1950年(昭和25年)に亡くなっています。

【史実モデル】三淵嘉子の再婚相手の父・三淵忠彦

朝ドラ「虎に翼」モデル・三淵嘉子の家系図(武藤家、三淵家)
朝ドラ「虎に翼」モデル・三淵嘉子の家系図(武藤家、三淵家)

以上、ざっと法曹界の重鎮・三淵忠彦の経歴を書きなぐりましたが、「虎に翼」を見るにあたって重要なのはここからです。

寅子のモデルである三淵嘉子(旧姓・武藤)は、最初の夫である元書生の和田芳夫(「虎に翼」佐田優三のモデル)を戦争で亡くし、そこから10年近く独身を貫いていました。亡き芳夫との間に長男の芳武が生まれていましたから、戦後の混乱の中、子育てと仕事に奔走して恋や再婚どころではなかったことでしょう。

その後、嘉子は仕事の関係で知り合った裁判官仲間(当時は最高裁調査官)の三淵乾太郎(みぶち・かんたろう)と交際を開始しています。乾太郎は嘉子の9歳年上で、あの初代最高裁判所長官・三淵忠彦の息子。スラッとした長身で銀縁眼鏡が似合うおしゃれな男性だったという乾太郎に嘉子は惹かれていったようです(「虎に翼」で星航一を演じる岡田将生のイメージと重なりますね…)。

1956年(昭和31年)、41歳になっていた嘉子は乾太郎からの求婚を受け入れて再婚。乾太郎は亡き前妻との間に4人の子供がおり、三淵家に嫁いだ嘉子は乾太郎の子どもたちと一緒に暮らし始めています。

つまり、三淵嘉子は初代最高裁判所長官の義理の娘になったわけであり、「虎に翼」でもこうした史実を踏襲するのではないかと予想します。

※嘉子の義父という立場になる三淵忠彦ですが、嘉子と乾太郎が結婚をする6年前の1950年に亡くなっています。嘉子は生前の忠彦とその妻・静と面識があったそうですが、一説では静が嘉子の先輩裁判官だった内藤頼博に頼み込んでお気に入りの嘉子と息子の乾太郎を引き合わせたともされます。

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