NHK連続テレビ小説「エール」で主人公・古山裕一に浮上するイギリスへの留学話。
裕一の留学は実現するのか(ネタバレ)、また、モデル人物・古関裕而は留学をしたのかについてまとめます。
破格の条件で留学許可を受けた裕一
英国・エスター社主催の国際作曲コンクールに入賞した裕一は、イギリス留学の許可に加え、留学費用も全額免除されるという破格の待遇を知らされます。
裕一は電撃的に恋に落ちた文通相手・関内音と結婚の約束を取り付けると、音を連れて留学することを視野に入れ、伯父・権藤茂兵衛からの結婚の承認を待つことになります。
結婚も留学も立ち消え…
すべての歯車が上手く回り始めたかと思われた裕一でしたが、事はそう甘くはありませんでした。
「どうせすぐに逃げ帰ってくるだろう」とたかを括り、裕一の留学を許可していた茂兵衛でしたが、今から留学という時に結婚をするなど言語道断と激怒。おまけに母・まさや弟・浩二も結婚には大反対。幸せが一転、裕一は音との結婚を諦めざるを得ない状況に追い込まれていきます。
さらに悪いことに、世界的な不況の影響で留学の許可を取り消すという手紙がイギリスから届き、結婚だけでなく留学話まで立ち消えてしまうのです。
「もう終わり、すべて終わりだ…」。またしても悲観的になってしまう裕一でしたが、友人・村野鉄男、そして福島に駆けつけた関内音の激励を受け、上京して音楽活動に専念する決意を固めることになり…。
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【史実】洋行、留学を希望した古関裕而
裕一の留学エピソードの顛末は、古関裕而の実体験がモチーフになっています。
1929年(昭和4年)、イギリス・チェスター楽譜出版社の国際作曲コンクールで入賞を果たした古関裕而。無名の日本人青年の快挙は新聞記事となり、遠く豊橋で歌手を目指していた女性・内山金子にも届くことになります。
また、古関裕而は入賞をキッカケにチェスター社が経営する作曲家協会(独・シュトラウス、仏・ミロー、ラヴェル、英・グーセンスほか一流の作曲家が名を連ねていた)の会員となるなど、欧州の音楽界を少しだけ近く感じるようになっています。
この頃、古関裕而は留学への夢を膨らませると、福島商業時代の恩師・丹治嘉市に入賞の喜びと英国留学への意気込みを伝える手紙を出しています。
生家「喜多三呉服店」廃業 資金に余裕なく
しかし、古関裕而の留学は実現しませんでした。
生家の呉服屋「喜多三呉服店」は廃業の状況にあり、経済的に考えても音楽留学など夢の話。
文通の末に金子とスピード結婚を果たした古関裕而は、上京して「日本コロンビア」の専属作曲家となり、家族を養うために流行歌を手掛けていくことになります。
こうして古関裕而の洋行の夢、そしてクラシック作曲家としての夢は遠ざかりますが、結果的に苦しい経済状況により、広く日本国民に愛される天才作曲家としての長い道のりを歩き始めるのです。