NHK連続テレビ小説「エール」第19週では、戦争が終わり裕一がラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」を作曲する姿が描かれてきます。
この一連のエピソードは史実がモデルとなっていますので、その経緯もまとめます。
戦時を悔やむ裕一 劇作家・池田が手を差し伸べる
終戦後の裕一(窪田正孝)は、自分が作った音楽に駆り立てられた多くの若者が戦場で散っていったことを悔やみ続けることになります。
ふさぎ込み続け作曲もままならない裕一でしたが、劇作家の池田二郎(北村有起哉)の存在が、もう一度裕一の才能を輝かせていきます。池田は自らが企画しNHKに持ち込んだ戦争孤児のラジオドラマの音楽の作曲を、裕一に依頼するのです。
「痛みを知ったからこそ表現できることがあるとおれは信じてます」「苦しんでいる子どもたちを励ましてください」…。そんな池田の言葉を受けて、裕一はラジオドラマ「鐘の鳴る丘」の主題歌「とんがり帽子」を完成させます。
▼「とんがり帽子」をはじめ、古関裕而の珠玉の名曲が網羅されたベスト盤。
戦争孤児を描いたドラマ「鐘の鳴る丘」
裕一のモデル人物・古関裕而は、多くの戦時歌謡や軍歌を手掛た戦争の時代を経て、国民を明るく勇気づける楽曲作りに邁進する戦後の時代を生きています。
戦後、GHQの一部局だったCIE(民間情報教育局)により「浮浪児救済の連続ラジオドラマ」の企画が立ち上がると、戦前から浅草の劇団(古川ロッパ一座)の座付き作家、東宝文芸部の主力作家として活躍を見せた劇作家・菊田一夫(「エール」池田二郎のモデル)に白羽の矢が立ちます。
実質CIEからの命令に等しい形でラジオドラマ「鐘の鳴る丘」を作ることになった菊田は、戦前から交流があった古関裕而(「エール」古山裕一のモデル)に劇中歌と主題歌の作曲を依頼しています。こうして名曲「とんがり帽子」は産声をあげるのです。
傷心の子どもたちを勇気づける「とんがり帽子」のメロディー
1947年から約3年間放送されたNHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」(菊田一夫・作)は、戦災により家も親も失った戦災孤児たちをテーマとした物語。
その内容は、戦地から復員した主人公の青年が戦争孤児たちと出会い、行くあてのない彼らとともに信州の山里に「少年の家」を建設、そこで共同生活を開始するというもの。辛い境遇にあった子どもたちが次第に生きる希望を持ちはじめ、明るく立ち直っていく姿が描かれていきます。
ドラマの主題歌である「とんがり帽子」(歌:川田正子、ゆりかご会)は、菊田一夫が作詞を担当。優しい詩情と明るい言葉が並ぶ菊田の詞を受けて、古関は「単純で印象的で、この音を聞いただけで、子どもたちがラジオの前に飛んでくるくらい惹きつけねばならない」と考え、暗い世相を吹き飛ばすように明快で力強いメロディーを書き上げています。
菊田の脚本によるドラマ、そして古関のメロディーは敗戦で落ち込んでいた国民を癒やし、広く愛されるものとなっていきました。
昭和23年(1948年)には「とんがり帽子」が選抜高校野球の入場行進曲になったほか、現在も古関の母校・福島県立福島商業高等学校の応援歌の一つとして用いられています。