NHK連続テレビ小説「エール」第10週では、コロンブスレコードに所属していた木枯正人がテイコクレコードに移籍することになります。
このエピソードは、古賀政男が帝国蓄音器(現在のテイチクエンタテインメント)に移籍した史実がモデルになっています。
盟友・木枯正人の移籍
第10週放送では、コロンブスレコードと専属契約をしていた作曲家・木枯正人(野田洋次郎)がライバル会社・テイコクレコードに(恐らく引き抜きで)移籍することになります。
テイコクレコードといえば、結婚前の音が裕一を売り込むために突撃した会社のひとつ(第6週)。売れ線の流行歌で攻勢をかけたいテイコクレコードにとって、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」というヒット曲を生み出した天才・木枯は、どうしても欲しい人材だったようです。
※後述しますが、木枯のモデル・古賀政男はテイチクに移籍後、4年で日本コロンビアに復帰しています。史実にならえば、木枯も後にコロンブスレコードに復帰するのではないかと予想します。
木枯に連れて来られたカフェーで、デレデレの裕一です…😅#朝ドラエール#窪田正孝#野田洋次郎#黒沢あすか#立花恵理#今野杏南 pic.twitter.com/5E7FJjwqyX
— 連続テレビ小説「エール」 (@asadora_nhk) May 12, 2020
モデルは「帝国蓄音器(テイチク)」古賀政男が移籍
テイコクレコードのモデルとなっているのは、古賀政男が昭和9年(1934年)に移籍した帝国蓄音器(現在のテイチクエンタテインメント)と考えられます。
昭和6年(1931年)、蓄音器(ハード機器)などを販売する合資会社として奈良で産声をあげた「帝国蓄音器」。
昭和9年(1934年)、音楽ソフトの販売事業を本格化するにあたり、すでに売れっ子となっていた日本コロンビアの作曲家・古賀政男を重役待遇で招聘(引き抜き)。日本コロンビアから録音技師なども呼び寄せ、東京に録音スタジオを設置しています。
移籍前年の昭和8年(1933年)、古賀政男は離婚騒動の心労から体調を崩し、伊豆半島・伊東で静養をしていたそう。伊東で温泉に入っていた古賀政男に偶然を装って接触・スカウトしたのが、帝国蓄音器創業者・南口重太郎だったとか。
ディック・ミネを発掘 藤山一郎「東京ラプソディ」も
移籍後の古賀政男は、テイチクに迎えられた売れっ子歌手・藤山一郎、楠木繁夫、美ち奴らとタッグを組み、「緑の地平線」「女の階級」「人生劇場」(楠木繁夫)、「東京ラプソディ」(藤山一郎)、「二人は若い」(ディック・ミネ、星玲子)、「うちの女房にゃ髭がある」(杉狂児・美ち奴)といったヒット曲を生み出しています。
この頃、古賀政男はジャズバンドなどで活躍を見せていたディック・ミネを見い出し、アメリカのポピュラーソング「ダイナ」を歌わせています。ディック・ミネ版「ダイナ」は累計500マン枚を超えるメガヒットとなり、ディック・ミネは一躍スターダムへと駆け上がっています。
昭和13年(1938年)、音楽文化親善使節として渡米するのを前に、古賀政男は日本コロンビアに復帰。以降古賀政男は「柔」「悲しい酒」(美空ひばり)をはじめとした戦後のヒット曲を日本コロンビアにて製作しています。
「テイチク」は日本を代表するレコード会社に
戦後、帝国蓄音器はテイチク株式会社(現在はテイチクエンタテインメント)となり、松下電器産業、日本ビクターの傘下になるなどの経緯を経て、現在まで日本を代表するレコード会社として成長を続けています。
石原裕次郎、田端義夫、三波春夫といった昭和のスターがテイチクで活躍したのをはじめ、現在では杉良太郎、石川さゆり、大泉逸郎、島津亜矢、天童よしみ、戸川純、綾小路きみまろなどの大物アーティストが所属しています。
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