2014年秋から放送が開始されるNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)「マッサン」。物語は、実在の人物たちの人生がモデルとなっています。
中でも、ヒロインの夫・亀山政春(玉山鉄二)と、政春の師であり後に生涯のライバルとなる鴨居商店大将・鴨居欣次郎(堤真一)は、日本のウイスキー醸造史に名を残す「偉人」がモデル。
日本初の「国産ウイスキー」を共につくりあげたスゴい人たちなのです。
この記事では二人のモデルとなった人物「竹鶴政孝」「鳥井信治郎」、そしてその二人が立ち上げた「誰もが知っているあの名門企業」についてまとめます。
亀山政春のモデルはニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝
亀山政春のモデル・竹鶴政孝は大阪の摂津酒造に入社後、本場のウイスキーづくりを学ぶため単身スコットランドに留学します。
帰国後、不況によりウイスキーづくりの財力がなくなった摂津酒造(ドラマでは「住吉酒造」として登場)を退社。その浪人期間中に鳥井信治郎が経営する寿屋(サントリーの前身。ドラマでは「鴨居商店」として登場)から熱烈にスカウトを受け、入社することになります。
1923年、竹鶴は鳥井とともに山崎の地に国産第一号蒸留所(現:サントリー山崎蒸溜所、大阪府三島郡島本町山崎)を建設します。
しかし、やがてウイスキー造りに対する考えの違いから鳥井と訣別し、スコットランドの気候風土に近い北海道の余市に渡り、「余市蒸溜所」を開設します。北の大地で理想のウイスキーを追い求める竹鶴の挑戦が始まるのです。
この時に竹鶴が余市で興した会社が「大日本果汁」。現在のニッカウヰスキーの前身となる会社です。
ドラマではニッカウヰスキー、大日本果汁株式会社は「ドウカウヰスキー」「北海道果汁株式会社」として登場します。
鴨居欣次郎のモデルはサントリー創業者・鳥井信治郎
▼「幻のサントリー社史」と言われる『やってみなはれみとくんなはれ』。同社宣伝部出身の山口瞳・開高健のコンビがサントリーの歴史を綴っています。 この二人を在籍させていたサントリーってスゴい…
一方の鳥井信治郎は、13歳で入った薬種問屋の丁稚奉公先で、輸入ワインやウイスキーの基礎知識を学びます。20歳で独立し鳥井商店(後の寿屋)を立ち上げると、8年後に「赤玉ポートワイン」(ドラマでは「太陽ワイン」として登場)を大ヒットさせます。
これで潤沢な資金を得た鳥井は、初の本格的国産ウイスキーづくりの夢を抱くようになります。そして鳥井はウイスキー技術者を探している折に、以前から知る仲であった竹鶴に白羽の矢を立てたのです。竹鶴が摂津酒造に在籍していた当時、鳥井は竹鶴の確かな仕事ぶりを評価していました。
1923年、鳥井は竹鶴とともに国産第一号の蒸溜所「山崎蒸溜所」を建設します。しかし、その後竹鶴とはウイスキー造りの考え方の違いから訣別。別々の道を歩む事になります。
鳥井が設立した鳥井商店・寿屋は、その後「サントリー」と改称します。「サントリー」が現代の日本を代表する大企業となったことは、皆さんもご存知のことと思います。
※サントリー「山崎蒸溜所」、ニッカウヰスキー「余市蒸溜所」ともに工場見学が出来ます。山崎は京阪間、余市は札幌からJR・車で一時間余りの場所にありますので、大阪・京都・札幌観光の際には、マッサンゆかりの蒸溜所見学を旅程に入れてみてはいかがでしょうか。
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