NHK連続テレビ小説「らんまん」第4週に登場する、自由民権運動の支援者・楠野喜江(くすの・よしえ)についてまとめます。
楠野喜江は、明治時代に日本で初めて女性参政権を求めた高知の女性「民権ばあさん」こと楠瀬喜多(くすのせ・きた)がモデルになっています。
高知「声明社」の活動家・楠野喜江、早川逸馬
第4週では、ある事情により家を飛び出してしまった綾(佐久間由衣)を探しに出た万太郎(神木隆之介)と竹雄(志尊淳)が、高知市街で自由民権運動の活動団体「声明社」と出会う場面が描かれます。
「声明社」は活動家の早川逸馬(宮野真守)をリーダーとし、国民の権利と自由を訴えかける団体。その傍らには「民権ばあさん」と呼ばれる女性・楠野喜江(島崎和歌子)がおり、「声明社」の活動を支援しているようです。
ひょんなことから「声明社」の演説の演台にあげられてしまった万太郎がとっさに草花について熱く語ると、聴衆たちは大ウケ。これを気に入った早川と楠野は、万太郎に対し仲間にならないかと誘うことになります。
万太郎は早川や楠野と出会い、自由とは何かを真剣に考える機会を得ることになります。
▷ドラマのご当地・高知県出身の島崎和歌子(しまざき・わかこ)。朝ドラ「すずらん」に出演経験があるほか、地元高知を舞台にした大河ドラマ「龍馬伝」では坂本龍馬の義姉・坂本千野役を演じています。
高知の「民権ばあさん」楠瀬喜多がモデル
島崎和歌子が演じる楠野喜江は、明治時代に日本で始めて女性参政権を求めた高知市出身の婦人活動家・楠瀬喜多(くすのせ・きた)がモデルになっています。
土佐藩士だった夫・楠瀬実と死別した喜多は、子供が居なかったため戸主として相続をしたものの、投票に出向いた1878年(明治11年)の高知県区会議員選挙において女性だという理由で投票を拒絶されてしまいます。
喜多は「戸主としてきちんと税金を納めているのに、女性だという理由だけで選挙に参加できないのはおかしい。投票できないなら税金も納めない。」と高知県庁に猛抗議。当時の日本はまだ女性に参政権がなく、ろくに人権も保証されていない時代であり、喜多のように女性自身が女性の参政権の必要性を訴えるという行動は前代未聞でした。
この「事件」が東京や大阪などの新聞でも伝えられて話題になると、2年後には喜多の地元の上町町議会が日本で初めて(戸主に限り)女性に選挙権を与える規則を定め、これに続き小高坂村議会でも同様の取り決めが行われています。中央政府よりも先に地方の自治の現場で大きなうねりが起きた瞬間でした。
その後、1884年(明治17年)に政府が区町村会法を改正し、区町村会から規則制定権を取り上げてしまったため、こうした地方独自の制定が不可能に。参政権は男性のみという全国一律の決まりが定められると、女性の参政権を認める各地の動きも見られなくなり、時代は再び後戻りしてしまいます。
※結局、女性に参政権が与えられたのは終戦後の1946年(昭和21年)のこと。喜多の最初の抗議から実に70年近い時間が経っていました。喜多はそれよりも前の1920年(大正9年)に亡くなっていす。
喜多はこうした流れにめげることもなく、高知出身の板垣退助や片岡健吉らが地元で立ち上げた「立志社」(※ドラマでは「声明社」として登場か)の自由民権運動などに参加。自ら壇上に立って各地を遊説するなど女性解放運動を続け、長年の活動のうちに、いつしか高知の「民権ばあさん」と呼ばれる存在になっています。
▼上町町会の跡地、高知市立第四小学校に建つ「婦人参政権発祥之地」の碑。「立志社」の流れをくむ傘下組織「獄洋社」を記念する碑もあります。坂本龍馬生誕地のすぐ近く。
若き日の牧野富太郎は板垣退助の自由党に参加
万太郎のモデルである牧野富太郎は、青年期(明治初期)に地元土佐でも支持者が多かった日本初の近代政党「自由党」の活動に参加しています(1882年=明治14年頃?富太郎19歳前後か)。
富太郎は多くの村の若者たちと同じように、高知出身の板垣退助を中心に自由民権運動を推し進める「自由党」の活動に入れ込んだ時期があったそうです。
もっともこの活動は青春期の一時的なものであり、やがて富太郎は自分が政治で身を立てるわけでもないという事実に気が付くと、学問に専念する意味もあり自由党を脱退しています。
※板垣退助はこの近代政党「自由党」(1881年結党)より少し前に、片岡健吉・山田平左衛門ら同志とともに高知県における自由民権運動団体「立志社」(1874年結党)を立ち上げています。喜多はこの地元の団体「立志社」に参加、支援をしていたということですね。
この当時の牧野富太郎と楠瀬喜多に接点があったのかは定かではありませんが、この「自由党」所属時代に富太郎が抱えていた自由や権利平等への渇望や、同時代に活躍した郷土の活動家・板垣退助や楠瀬喜多の存在をモチーフに、第4週の「声明社」(早川逸馬・楠野喜江)と万太郎との交流エピソードが創作されていると思われます。